14.交錯 −2

「もぅ!センパイ!早くってば!」「えっ!?サニもう着替えたの!?…。って覗くなよ!!」

IN-PSID地下1Fフロアは、スタッフらの厚生施設フロアとなっており、その一角にインナーノーツ専用(PSI-Link システム連携特殊仕様ユニフォームの保管のため、また緊急対応の備えとして、専用となっている。)の更衣室もある。更衣室の中は更に<アマテラス>クルー人数分の5部屋と予備1室の6つの個室となっていた。

「いーじゃん、今さら恥ずかしがるもんでもないでしょ…あっパンツ見えた~。」

サニに覗かれ、慌てて個室の鍵を閉め忘れていたことに気づいた直人は、動揺した片手でボトムスをたくし上げながら、もう一方の手でドアを強引に引き戻し、鍵をかけた。

「お、お前…なんで、そんなに、着替えんの早いの!?」「ふふん。遅刻の常習犯は伊達じゃないのよん。」ドアの外に追いやられたサニは、そのドアにもたれかけながら、不敵な笑みを浮かべる。

「はぁ…それ、自慢するとこかよ。…だいたいサニが…朝っぱらから…」そこまで言って言葉を詰まらせる直人。

「朝っぱらから何よ?」

「…せっ…迫ってくるから…」

「えぇ~っ?イヤだったの?」「いや…そうじゃないけど…じゃ…じゃなくて…」

「じゃあどうだったのよぉ?」意地悪く訊き返すサニ。

インナーノーツの更衣室の前を横切ろうとした時、賑やかな声が聞こえてきた。母の居る療養施設から、IN-PSID中枢区画へ戻ろうとしていた真世は、その連絡通路に繋がるこのフロアを小走りに通り抜けようとしたところだった。

真世は扉が開いたままの更衣室入り口からふと中を伺う。

「良かったんでしょ?ねぇ、センパイってばぁ?」「…。」「ねぇってば、どうなの…」

「おはよう、サニ。」

「あ、お…おはようございます!」

真世は心配そうに中を覗き込んでいる。

突然声をかけられたサニが目を丸くして真世を見返した。

「早く行かなくて大丈夫?集合かかってたんじゃ…?」真世も呼び出しを受けたようだ。

「だ…大丈夫です!」その時、背中をドアに押される。咄嗟にサニは、その圧迫を背中で押し返す。「おい、サニ!何してんだよ!開けろよ。」

「?どうかした?」サニの妙な様子に真世は様子を伺うように近づきながら問いかける。

「な….何でもないよ!先に行ってて…」

「う…うん…。」

ドン!ドン!ドン!

サニが押さえ付けていたドアが音を立てている。

「?」不審に思い、覗き込む真世。

「へへへっ…ぅわ!」サニがドアに跳ね除けられるようによろけると、勢いづいたドアに引き摺られるようにして直人が飛び出してきた。

「ったく、何の悪戯だよっ!もう時間ないんだから…」言いかけたその時、刺さるような視線を感じる。気配の感じる方へ目を向けた直人は、一瞬のうちに凍りつく。

「お…おはよう…風間くん。」「ふ…藤川…さん…」

サアァァァァァァ

朝からサニと揃って遅刻間際…。更衣室にサニと二人きり…。そ…それより…今の会話、どこまで訊かれたのだぁぁぁ…

血の気が引き、背中に冷たいものが滑り落ちていく。

硬直した首をそのままに、視線を横に移すと開けたドアの反対側からサニの呆れ顔が覗いていた。

…気づけよ、バカ…と言わんばかりの顔でこちらを窺っている。

真世は二人の様子をジッと窺っている。直人が何か言いたそうに口をモゴモゴさせている。

…直人くんの方はどうなのかしらね…

ふと、先程の祖母との会話が真世の脳裏をよぎった。

…付き合ってはいない…

祖母の言葉に応えるように、先日の直人の言葉が蘇る。真世は、それらを吹き消すように小さく一つ溜息をつく。

「お邪魔しちゃったね。それじゃごゆっくり。」

微かな微笑みを口元だけに浮かべ、真世は踵を返すと、ツカツカと更衣室の外へ足速に去っていった。

…おやおや…

真世の心に巣食う彩女は、面白いものが見れたと、ほくそ笑んでいた。

「…!…!」メルジーネ の凍てつく波動をも堪えた直人も真世の微笑の前に、為すすべもない。

「はぁ…ったく…ほら!」ふいにどんっと背中を押され、直人はよろけながら凍結から解き放たれた。

「追いかけたら?」ジト目のサニが口を尖らせ気味にせっつく。

「えっ…。」「いいから!」ためらう直人の背中を押しながら、駆け出すサニ。

「ちょ…ちょっと!」

二人が廊下に出ると、直ぐ近くのエレベーターホールで真世がエレベーターに乗り込もうとしている姿が見えた。

「あっ!待ってくださぁ~い!」サニが呼び止める。

駆け寄る直人とサニに気づいた真世は、一瞥すると何も言わずにエレベーターへと乗り込んでいった。

…が…ガン無視!?…

直人の胸に、その一瞬のうちに重い刃がのしかかる。

「どうぞ…。」

だが直人の心の動揺とは裏腹に、真世はドアを開放したまま、二人をエレベーターの中へ招きいれた。

「ありがとうございます!」サニは軽く礼を口にしながら、直人を押し込むようにしてエレベーターに乗り込む。

「なんか、今朝あたしの車調子悪くて…センパイに乗せて来てもらったんですよぉ。ゴメンね、センパイ。あたしのせいで遅くなって。」「??」キョトンとしている直人の背中を軽く小突くサニ。

「あ…あ、うん。」ここはサニの口車に乗るのが無難そうだ。

「そう…大変だったね。」真世はそう言い放つと、言葉を続けるでもなく、エレベーターの操作盤を操作する。

エレベーターの扉が沈黙の密室を作り出す。

インナースペースの時空間断層に堕ち込んだ、あの時の感覚を直人は思い出していた。

エレベーターが静かに上昇を始めようとした時、頭の中に響くテレパス・メールの受信音に真世はふと顔を上げる。

「もう…お婆ちゃんったら…」いくぶん頬を膨らませながら呟くと、真世は素早く操作盤の『1F』スイッチを押した。

時刻は朝9時に差し掛かっている。

職員や来客でいくぶん賑わっているIN-PSID中枢区画の1階、ロビーにエレベーターの到着音が響く。

言葉も無くエレベーターから降りてくる勇人。その後に藤川と貴美子が続く。

「風間さん、私達はここで。」エレベーターの中に残るカミラとアランは軽く頭を下げて勇人を見送った。

「あぁ…ではな。」勇人は愛用のイタリアンハットを軽く持ち上げて応える。カミラとアランを乗せたエレベーターはそのまま地下へとおりていった。

「…。」勇人は、無言で帽子を深く被り直す。

「…風間。」「何も言うな、コウ。」

手をそっと挙げて藤川の言葉を遮ると、勇人はそのまま藤川に背を向ける。貴美子は二人の間に入り込むことが出来ず、ただ彼らを見守るしかない。

「お前の言うことは理解したつもりだ…。」勇人は、胸の内に昂ぶるものを抑えるように深く息を吐き出す。

「とにかく、そこまでするからには必ず結果は出せ…。いいな。」そう言い残すと、勇人は玄関の方へと歩み出す。

「ちょっとぉ、真世さんどこ行くんですかぁ?」

貴美子はその声のする方に顔を上げた。

足速に近づいてくる真世に先導され、その後ろをサニと直人が小走りで続いて来るのが見えた。

「真世!こっちよ。」孫を呼ぶ貴美子の顔に笑みが戻る。

勇人もその声に後ろを振り返った。

「おお、真世ちゃん!わざわざ見送りに…」

真世の姿に顔が綻んだ勇人の視界に直人の姿が飛び込んできた。

「直人!」

直人も思いがけない祖父との久しぶりの対面に目を丸くしている。

「じ…じぃちゃん…」

「えっ、マジ?」直人の隣でサニも少し驚いた顔を見せる。年の割にハイカラなその老紳士と、どこかあか抜けない幼顔のセンパイを見比べた。言われなければ、血縁者とは気付かないだろう。

「せっかくいらしたのに、やはり会わずに帰るのは…。」「ふっ…そうだな。ありがとう、貴美子。」勇人は貴美子のささやかな計らいに、素直に感謝する。

「では、私はミッションの準備がありますので。ここで失礼します。風間さん、お気をつけて。」真世は、事務的な口調で淡々と挨拶を述べ、一礼すると今来た通路をスタスタと戻っていった。

真世の残した冷ややかな空気に、その場の一同は身動きを封じられる。

「ま…真世?ちょっと!」呼び止める貴美子の声も真世には届かない。真世は振り向きもせず、通路の先に姿を消した。

「どうしたの?あの子?」

貴美子の問いかけに応えられるわけもなく、直人は彼女が消えた後方の通路を茫然と眺めていた。「センパイ…。」その彼に寄り添うように近寄ると、サニは心配げに見上げた。

「はっはは、直人!」突然、力強い重みが肩にのしかかる。勇人は、そのまま何度か直人の肩をポンポンと叩く。

「いやはや…これは恐れ入った。流石は我が孫!はははは。」言いながら勇人は、直人の隣に立つサニにウィンクを投げる。「初めまして、お嬢さん。インナーノーツのお仲間かな?」

「はっはい。サニです。」「うん、うん。」

「両天秤か?」「!?」勇人は、孫の肩に手を回すとそのままグッと引き寄せ、直人の耳元で囁く。

「あのクールな真世ちゃんも美しいが、こっちのサニちゃんの健康美もたまらんのう。全く、楽しくやってるみたいじゃないか、えぇ?」

齢70を超えてなお、男女の秘め事への嗅覚鋭い祖父は、直人、真世、サニの関係を直観的に見抜いたようだ。直人の顔中の血管が拡がっていく。

「そっそんなんじゃ!!」「じゃあ、なんだ?」「…!!」言葉を失った直人は、肩に置かれた祖父の腕を払いのけるのが精一杯だ。

藤川、貴美子、サニの3人は、二人のやりとりを怪訝そうに窺う。

「ふん。…まあどっちでもいい。それはお前が決める事だな。」

腕を直人に払いのけられた勢いでズレた帽子を正すと、勇人は白のユニフォームに身を包んだ孫の姿を正面から見据えた。

「インナーノーツか…立派になったもんだ。」

勇人は、愛用の帽子で目元を隠すように俯き加減で続けた。

「直人よ、あっちの世界はどんなだ?」

「えっ?」

帽子の陰から覗く、祖父の口元からは笑みは消え去っている。

「俺はこの世界しかわからん…。だが、人を想い、人と繋がり、喜び、悲しむ…それはこの世界で命あるものだけが知り得る素晴らしいものだ…」

藤川も貴美子も、勇人の言葉は彼の孫だけでなく、自分達にも向けられたものである事を即座に理解した。

「…俺は、それで十分だ…。」独り言のように溢れたその言葉は、ここには居ない誰かに向けられているかのようだと、直人は思った。

祖父は顔を上げてもう一度、孫の顔を見つめる。

「お前達のミッションは、時に辛く苦しい事も…「受け入れ難い真実」を知る事もあるだろう。」

「?」直人は祖父の言葉の真意を受け止められずキョトンとした顔で見返すばかりだ。

「風間!」声を上げる藤川を手で制すると、勇人はもう一度、今度は直人の両肩に手を乗せ語りかける。

「だが、どんな事があっても必ず帰ってこい!俺は…俺は何度でもこの世界でお前に会いたい。」

「…命を粗末にするな。」肩に置かれた祖父の腕から、熱い血潮が流れ込む。

「いいな?」

瞬き一つない祖父の両目から覗く、大きな瞳は生命の力に満ちている。

「わかった…必ず、帰ってくる。約束するよ。」気圧され気味に直人は応える。

「…。」祖父の目元がふっと緩む。

「お嬢さん。」勇人はサニに視線を向ける。

「は、はい!」「コイツのこと、よろしく頼む。どこかへ行ってしまわんように、しっかり捕まえててくれ。」

「!」昨日の一件があるだけに、勇人のその一言が引っかかるサニ。

「わかりました!必ず!」サニは言いながら直人の腕を後ろからそっと掴んでいた。そんな二人の様子を見て、貴美子は真世の不機嫌の原因を理解すると、顔を綻ばせる。

…ほんと、あの頃の私によく似てるんだから…あの子…

勇人は、直人の肩から腕を下ろすと、その場の一同に背を向けた。

「ではな。直人、コウ。また来る。」

背を向けたまま、勇人は愛用の帽子をとり、頭の上で2、3度振ると、そのままIN-PSIDのロビーを一人後にした。

「風間さん、お一人で?」「うむ…今回はあくまでプライベートだそうだ…。」

「そう。」一人、去って行く勇人の背中に一抹の寂しさを覚える貴美子は、そのまま彼の姿が見えなくなるまで見送る。

「ふん…彼女がアイツを選んだ理由…今更わかったような気がする。…」「えっ?」

夫の独白を思わず訊き返す貴美子に、藤川はただ優しく微笑み返す。

「だいぶ時間を押してしまったな。直人、サニ、我々も上(IMC)にあがろう。」「はい!」

藤川は二人を引き連れ、反対側のIMCへと昇るエレベーターの方へと向かう。

…ほんとうに…必ず帰ってくるのよ…

通路の先に姿を消す直人の背に、貴美子も祈るような声にならない言葉を胸の内で呟いていた。

…みんな、あなたの帰りを待っているのだから…

朝の回診が終わり、神取は療養棟の医局で一息ついていた。病院棟での回診、その後、立て続けの外来やオペの対応に比べ、こちらは入居者の異常対応が主な仕事。容態急変などの事態がなければ、落ち着いた職場だ。

療養棟の医局に交代で詰めている医師も神取を含めて3人ほど。この時間帯は病院棟の応援などもあり出払っている。常駐で療養棟での研修に入る事になった神取は、その留守を預かっていた。

朝の回診のデータ入力処理を終える頃、神取は秘匿メールの受信を感知する。御所の特級秘匿回線であり、結界領域内やPSI 現象化などで時空間異常を伴うような領域でもある程度の交信を可能としている。IN-PSIDの監視網にかかる事もないが、神取はさらに玄蕃に命じ細工を施し、万に一つもIN-PSID側に通信を傍受される危険を排していた。

「…。」軽く目を閉じ、脳内に浮かび上がる密書の文面を確認する。

「…ふっ…我が師は、実に簡単に仰せだが…どうだ、やれそうか?」

人気の無い医局の片隅にできた影溜まりに声を投げかける。

…彩女が見たという、あの船か?…

玄蕃は、施設内の警戒網の穴を調べ尽くし、神取と連絡を取るポジションを既に特定していた。医局内にも警戒網にかからないポジションを3箇所ほど確保している。

…そうだ…その存在は御所も既に掴んでいたようだが、更なる情報を欲している…今日あたり、動きがあるやもしれんと…

…どこからそのような情報を?…

御所が掴んでいる情報を現場にいる自分達が掴みきれていない事に違和感を示す玄蕃。彩女から報告を受け、その船に関する情報を可能な限り、この施設のネットワークにアクセスし調べたが、トップシークレットとなっているその船に関する情報は一切引き出せなかった。

…さあてな…して、策はあるか?…可能な限り霊界で直接、その船を観測したい…

…うぅむ…活動中のその船の時空間座標だけでも捉えられれば、いくらか手はあるが…

…彩女を使って、その情報だけでも送ってよこさせるか?…

…あやつがあの船を見たという場所…あの一角の結界網は容易く破れん…騙せたとしてもほんの一瞬だろう…その間に彩女の思念を辿ればあの一角に入り込める可能性はある…だが…

…タイミングを誤れば、彼らに察知されるリスクがある…

…それだけではない…防衛措置を取られた場合、最悪、現象界への帰還すらままなくなる…

…なるほど…だが、他に手もあるまい…我が師の命は絶対だ…

…心得た…手は尽くそう…

…うむ…

影溜まりは壁に溶け込むようにスッと消えてゆく。

「…異界を渡る船…か…。」

神取は、椅子の背もたれに深く身を預ける。

…こちらの手の内に引き込みたい…

師の言葉が想い出される。

「…異界船…神子…いったい何を成そうというのだ…御所は…」

見上げた先の天井は、その問いに白く無機質な静けさで応えるのみであった。

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