14.交錯 −1

張り詰めた空気が、その二人の男達の間でくすぶっていた。

藤川は、勇人の見開かれた瞳を真正面から受け止める。勇人は、藤川のその瞳の奥に隠された言葉を読み取らんばかりに、瞬きもなくじっと見据える。

その時、不意に所長室の扉が開く。

「刑事さん達、お帰りになったのね。風間さん、お茶のおかわりは…」所長室に足を踏み入れた貴美子は、すぐに夫と彼の親友の放つ緊迫した空気を感じ取る。

貴美子は扉の前に立ち尽くすと、それ以上足を進めることが出来ない。

静まり返る所長室を静かに潮騒の音が包み、一陣の柔らかな風がそっと二人の頰を撫でる。

藤川は、ふと目を伏せると、インターホンの受話器をとった。

「…おはよう、東くん。朝早くからすまんが、インナーノーツを集合させてくれ。…ああ、そうだ。…。うむ。」

藤川が通話を始めたので、ふて腐れるように深々と椅子に座りなおす勇人。気持ちを落ち着かせようと紅茶カップに口を付けると、カップが空になっていることに気づく。

「風間さん、どうぞ。」

貴美子は、ポットをとると勇人に微笑みかけながら紅茶を勧める。

「あ、あぁ…ありがとう、貴美子。」

勇人は、受けた紅茶に再び、砂糖とミルクをたっぷり足すとゆっくりと一口、口に含んだ。

「…カミラとアランはいるか?」藤川はまだ通話中だ。

「どうかなさいました?」貴美子は、勇人に静かに問いかけた。

「いや…相変わらずだよ、コウは…。」

勇人は、紅茶を受け皿に静かに戻しながら伏せ目がちに呟く。

「…。」貴美子はこの二人の友情の間に横たわる埋めようのない溝を垣間見た気がする。

あの頃には戻れないのだ…。

「…うむ。それとアルにも声をかけてくれ。…ああ。こちらで詳しく話す。…では後ほど。」

通話を終えた藤川は、静かに受話器を置く。

「…コウ。」

「ん?」静かに語りかける勇人に、藤川も向き直る。

「…俺はな…別にお前のことを恨んだりはしとらん。20年前も…あの時のことも…。」

「あの時…。」貴美子はハッと息を飲む。

「…わかっている…。」

「いいや…お前はずっと引きずっている。引きずっているからこそ、ここまで来れた…違うか?」

「…。」勇人のその問いに無言で答える藤川。貴美子はそっと目を伏せる。

「お茶のおかわり…持ってきますね。」

「すまん…貴美子。」勇人は藤川を見据えたまま、部屋を後にする貴美子の背中に言葉を投げかけた。勇人はわかっている。この話題は、貴美子にとっては心苦しい話題であることを…

貴美子を送り出した部屋の扉が静かに閉まる。

「…彼女は…恵(けい)は、お前さんを愛していた…。それだけが真実だ。」

勇人は藤川から視線を外す。

沈黙が二人を包む。

「…恵が俺たちの前から姿を消したのは、お前のせいじゃない…だが…」勇人は、手にしたカップを静かに置くと、藤川を今一度、真っ直ぐに見据え直した。

「お前は今でもあいつの影を追っている。」 

「…。」

泉恵。

勇人の妻となった、不思議な能力を持った女性であった。

-インナースペースを生身の肉体で往き来できる能力-

それは、当時、黎明期のPSI 物理学を学ぶ藤川が彼女の能力を独自に研究し、導き出した結論だった。(尤もその証明は未だにかなえられていない。)

彼女は藤川の良き研究パートナーであり、彼女の能力に関する研究こそ、彼のその後の人生を決定付け、数々の功績へと導いたと言っても過言ではない。

だが、50年ほど前、直人の父、直哉を産んで間も無く、恵は忽然と姿を消した…。

そう、まるで「神隠し」のように…。

藤川は、それを薄々予期していた。

彼女の能力、それは同時に彼女自身の身を削る力…。当時の藤川は、いつか訪れる別れを予期しながら、それを止めることは出来なかった…。藤川の脳裏には、恵の微笑みが今でも焼き付いている。

「…いや、お前だけじゃない…」勇人は続ける。

「息子も、孫も…知らず知らずに…何故なんだ?」勇人は、俯き首を横に二、三度振りながら、絞り出すように呟く。

「…何故、あいつらなんだ?」

「風間…。すまん。彼らを巻き込んだのは確かに私だ…。」藤川は、勇人の胸中を痛いくらいに察していた。

「……。」勇人は俯いて、暫く口を噤んだ。藤川もかける言葉も見つからない。

「…ふっ…。ふふっ…。」不意に勇人は、顔を伏せたまま渇いた笑いを立てる。

「…神さまが与えてくれた力…なすべきことをべきことをなす…か。」

「!」藤川は思わず顔を上げた。恵が姿を消す直前、二人に言い残した言葉だ。

「コウよ…俺たちは未だにあいつの手の中で踊らされているのかもしれんな…」

勇人は紅茶のカップを手にすると、不意に立ち上がりバルコニーへと足を向けた。眼下には、既に高く登り始めた日の光に煌めく、日本海の波しぶきが静かなリズムを刻んでいる。

「…この件、話を持ち込んだのは俺だ…その俺がお前を信用せんのでは、話にならんな。…悪かった。」勇人は、バルコニーへと目を向けたまま、独り言のように呟くと、紅茶をまた一口啜った。

「…。」藤川は、無言で旧友に背を向けたまま彼の言葉を受け取った。

静寂を突如、来訪ベルの音が打ち破る。

「所長、東です。」入室インターホンの映像が、モニターに映し出される。東、それにカミラ、アラン、アルベルトも一緒だ。

「入りたまえ。」藤川の声に反応して、所長室のドアが開き、4人を招き入れた。

「あ…これは風間理事長。ご無沙汰しております。」東は、勇人の姿を認めると、一礼して挨拶を送る。

「おぅ、東か。久しぶりだな。アルも。元気そうだな。」

「ふん、相変わらず、羽振りが良さそうで結構なこった。」勇人は、アルベルトにとっても旧知の仲。

「ははは、どうだ、アル。戻ってくる気はないか?お前ほどの技術者はそういない。ここより好待遇で受け入れるぞ。」

「生憎だな。ここはメシがうまい。それだけで充分だ。」「ふふ…そうか。」

「君たちがインナーノーツの?」勇人は、アルベルトの後ろに控えていた二人にも声をかける。

「隊長のカミラです。」「副長、アランです。」二人は短く名乗る。

「そうか…うちの孫をよろしく頼むよ。」

「は…はい。直人は良くやってくれてます。ご安心ください。」目の前の老紳士と直人の関係は、先ほど東から聞かされていた。恐縮気味なカミラの返答に、勇人はやや目を伏せながら、笑顔を返す。

勇人は、客席に戻ると自分の手荷物をまとめ始めた。

「邪魔したな、コウ。…じゃぁ…」

「待て。」所長室を後にしようと、扉へ向かいかけた勇人の背中を藤川が制する。勇人は怪訝そうに振り返った。

「…これからミッションプランを協議する。風間、お前にも聴いてもらいたい。」

藤川の瞳の奥には、何者にも動じない力強さが漲っている。時折、彼の見せるこの眼差しは、かつての妻、恵によく似ていると、勇人は予々思っていた。

二人は、確かに自分が入り込めない何かを共有していた…勇人はそう思わずにはいられない。「まったく…。」と、声にならない呟きをため息とともに吐き出す。

「…わかった。聴こう。」勇人は静かに踵を返した。

ポットの中でゆっくりと舞っていた茶葉もすっかり水気を吸って、茶越しの底で息を潜めている。赤黒い水面は、深く皺の刻み込まれた貴美子の顔をくっきりと浮かび上がらせていた。

…恵(けい)ちゃん…わたし、すっかりおばあちゃんよ…。でも、あなたは…

彼女は、あの頃のまま、今も夫の胸の中に生き続けている。

「おばあちゃん。」

「…。」

「おばあちゃん!」

孫の呼ぶ声にはっとなり顔を上げる貴美子。

「真世…。」

「ねぇ…いくら風間さんが濃いめが好き…って言っても…これ、出し過ぎじゃ…。」

昔、恵から聞かされていた勇人の好み。

ちょっと渋いくらいが彼の好みだと彼女が笑いながら貴美子に語っていたのを思い出し、その再現を試みていたが、飲み頃はとうに過ぎてしまったようだ…。

赤黒く染め上がったティーポットが、恨めしそうにその存在をアピールしている。

「…しまった…。」「どうしたの?ぼっとしちゃって?」

「…昔のことを色々思い出しちゃって…。」貴美子はいそいそと出し過ぎの紅茶を処分し、淹れなおしの準備を始める。

「おばあちゃん達、大学時代からの友達なんだよね。…ねっ、おばあちゃん。おばあちゃんは、おじいちゃんとその頃から付き合ってたの?…もしかして、おじいちゃんと風間さん、恋のライバル同士だったりして!?」

真世は、純真無垢な目をキラキラと輝かせて、祖母の言葉を期待する。

「もぅ。真世ったら。わたし達は、そんなんじゃないわよ。」貴美子は、片付けた茶葉をもう一度、戸棚から取り出している。

「そう言う貴女こそどうなの?」「えっ?…あたし?」思わぬ祖母の切り返しにキョトンとなる真世。

「聴いたわよ。この間、直人くん、実世のお見舞いに来てくれたそうじゃない?貴女、ずいぶん嬉しそうにしてたって、実世が話してたわ。」

「そ…そんな事…もぅ…ママったら!」

真世は頰を赤らめる。

「風間くんは…小さい頃からのお友達だし…久しぶりにお話できたから…それだけよ。」

「ふ~ん。「お友達」ねぇ…。直人くんの方はどうなのかしらね…。」茶葉をポットに仕掛ける祖母の優しい視線が、真世を包み込む。真世は、見透かすような祖母の視線から逃げるように視線を逸らす。

「も…もぅ!おばあちゃん。」危うく祖母のペースに乗せられるところだった。

「そ…それこそ、風間くん、、じゃなくてお…お爺さんの方!風間さんは、おばあちゃんのこと、好きなんじゃないかなぁ??なんか、そんな感じしたよ。」無理矢理、話を戻す真世。

「風間さん?ふふふ、あの人は気が多いから。誰にもあんな感じよ。」

「た…確かに…。」真世の脳裏に、彼の孫と同年齢の自分にまで愛想を振りまいていた、先程の勇人の笑顔が浮かぶ。

「風間さんかぁ…私にとっては…そうねぇ…そう、お兄さんのような感じ…大学時代からずっとね。コウもあの頃は、私のことなんてまるで意識してなかったわ…。」「えぇ、そうなの?」期待したような話にならず、少々落胆する真世。

貴美子は真世に背を向け、ティーポットに入れ替えた茶葉に、静かに湯を注ぎ始めた。

「あの二人には、あの頃からかけがえのないひとがいる…今でも変わらずに…」俯き加減に呟く貴美子。

「えっ?」貴美子の小さく、独り言のような呟きを受け損ねた真世が聞き返すも束の間、頭の中に電話のコールが鳴り響く。

真世は、貴美子の言葉が気になりながらも、左手に形成したモニターに母の姿を認めると、すぐに電話に応答する。

「あ、おはようママ。今起きた?…うん、おばあちゃんのとこ…うん、ごめんね、すぐ戻るよ。」

真世は左手を軽く閉じて、モニターを消す。

「実世?」「うん…ママが起きる前に部屋出てきたから…心配になったみたい。朝ご飯、一緒に食べる約束してたんだ…。」

「こっちはいいわよ。ありがとう。実世のところに行ってあげて。」「大丈夫?もう淹れすぎないでね。」

「はいはい、早く行きなさい。」

慌ただしく給湯室を出て行く孫の背を静かに見守る貴美子。

…ちょうど今の真世と同じくらいだったわね…あの頃のわたし…

ふと、あの頃の自分を孫に重ねてしまう。

「…あっ、いけない、いけない。」はっと我にかえり、貴美子はポットの中で舞い上がる茶葉に視線を戻した。

 

瓦を打ちつける雨垂れの音は早朝から少しずつ勢いを増している。

晴れやかな日本海側とは裏腹に、紀伊半島の一帯は、太平洋上を北上する温帯低気圧の雨雲に覆われていた。

老翁は、御所の南東側にあしらわれた自室で座禅を組み、雨風の音に身を委ねている。

「長…。」締め切った障子戸の外から呼びかける部下の声に、老翁はそっと目を開けた。

「…いかがした?」

「例の刈り場…IN-PSIDも乗り出してきたようです。警察が調査協力を依頼したらしく。」

「ほう…。」

「警察はともかく…我々もあの機関の機密情報は殆ど掴めておりません…このまま放置しては…。」

「かの国からの報せは?」「今回の件では何とも…。」

「…そうか…。」老翁は立ち上がると、部下の控えている障子戸を静かに開け放つ。黒づくめの部下は、頭を垂れたまま、微動だにせず、主人の次の言葉を待つ。

「首尾は如何程か?」

「はっ…現状で、3割程度かと。」

「3割か…ふん、まあ良い。それでも、夢見供の言う、「草」の存在を確認できた…。して、次の手は?」

「は、今回得られたデータで大幅に進捗できそうです。」

「うむ…潮時じゃな。」

「はい…ですが、IN-PSIDは如何致しますか?」

IN-PSIDの関与は、彼らの情報網をもってしても察知出来なかった。これに対するシナリオは無い。

「…ふむ……」老翁は雨樋から溢れ、滴り落ちる水滴を見上げながら、しばし思索に耽る。

「構うことはない。…むしろ好機ぞ。」

「好機?」

「うむ。彼らの…例の船だ…。」

「…かの国からの報告にあった?」

「左様。」

ーこの世とあの世(霊界、非物質界)を自在に往き来できる船。ー

黒づくめの老翁の部下は、その船についてそう聴いている。

古来より、「あの世」は、彼らの抱えるシャーマンや霊能者、陰陽師のようなごく限られた者達が、精神のみを肉体より離脱させる事で垣間見ることができる、ある意味、彼らにとって太古の昔より独占してきた聖域であったのだ。

その世界を独占する為に、為政者とそれに連なる霊能者らは、ありとあらゆる情報操作を巧みに行い、「あの世」に関することは有耶無耶にして、大衆にはそのような世界は存在しない事を信じ込ませることに成功してきたはずであった。

しかし、PSI科学の目覚ましい発展は、彼らの聖域をも次第に侵しつつある。

もちろん、彼らとて、「PSI科学」とそのテクノロジーを利用もする。だが、あの世に関する、数千年の伝統と豊富な知識の優位性など、あと数十年のうちに覆されるであろう…

生まれた時からこの「御所」の歯車に過ぎない、黒づくめのその若者は、漠然と「PSI科学」の発展に危惧を覚えずにはいられなかった。

…その時が来れば、我らは…ふっ…気の回しすぎか…

「おそらく、彼らは例の船を持ち出してくるであろう。この機に、その実態を把握するのだ。」

「はっ…。されど、いかように?システムで収集できるクライアント情報は限られています。」

「神取を使う。」「神取様…ですか?」

黒服の彼らにとって上位格にあたる神取とは、彼らも何度か行動を共にしたこともある。だが、神取が今現在、何の任務に従事しているのか、彼らは知る由も無い。

「うむ…ちょうど別命でIN-PSIDに潜伏させている。やつに彼らの動向を探らせる。…。」

老翁は、腕を組み軽く目を閉じると、1分ほど口を閉ざした。

黒服の男は、『密書(テレパスメール)』の受信を脳内で感知する。

「…これを特級回線でやつに転送してくれ。」

神取への親展メールとなっており、彼も内容は知り得ない。

「かしこまりました。」黒服の男は老翁に一礼すると、その場から音もなく退いた。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする