12.残滓 −2

「それじゃあな、貴美子。明日、会えるのを楽しみにしてるぞ。」

愛想の良い好々爺の笑みを浮かべながら、勇人はモニターの中で軽く手を振っていた。

「ええ、気をつけていらしてくださいね。」

貴美子は挨拶を返すも、藤川は無言のまま微動だにしない。

「コウ…おい、コウ!」

「…ん?」

「よろしく頼むぞ。」

「あ…ああ。」真顔で念を押す風間に、藤川は心ここに在らずと言わんばかりの生返事で返す。風間は旧友が既にこの一件に片脚を突っ込んだ事を確信する。

「もう、コウ!」貴美子は夫の非礼を詫びるように風間に二、三度頭を下げる。

「いい、いい。それじゃあな。」

気にする風もなく、風間はモニターから姿を消した。

娘と孫娘の変わらぬ笑顔が画面に再び現れる。風間の消えたモニターをずっと凝視し続ける藤川。決して娘らの笑顔に見入っているわけではない。

「…『神隠し』…か…」

「コウ…」夫の呻くような呟きに、かける言葉は無い。

『神隠し』

この言葉は、藤川、貴美子、風間にとって未だに重石のように残っている過去のある事件を想起させる…貴美子は、その事を噛み締めたまま、静かに昼食の後片付けに取りかかった。

入り口を抜け、間接照明の灯る薄暗い6畳ほどの部屋に足を踏み入れる。ヒーリングミュージックと、イングリッシュガーデンを想わせる庭園風のホログラム映像が、直人とサニを迎え入れた。ホログラムはオモトワの受付時の心理チェックにより決まり、数パターンあるようなことをサニが解説した。

部屋の中央に目を向けると、ちょうど二人で腰掛けられるベンチ(部屋のグラフィック、利用人数に合わせて選択される)が薄明るく照らし出されている。

「直人さん、サニさん、どうぞこちらへ。」

低く落ち着いた紳士風の音声案内に従って、直人とサニはベンチへ並んで腰掛けた。

「…ようこそ直人さん。サニさん。直人さんは初めてのご利用ですね?」「は…はい。」

自律思考型AIでコントロールされた音声は、対話形式で利用説明に続き、直人の生い立ちや近況などを話題に出しコミニュケーションを深めていく。サニとの関係を訊かれると、しどろもどろになる直人に対し、サニは平然と二人の「秘密の関係」まで暴露。
「どーせ相手はAIよ。」とあっけらかんとしているサニ。
直人は顔を赤らめて俯く直人に「大丈夫、秘密は守りますよ。」とAIの音声は、優しく宥めてくる。
どうやらこの流れは、いわゆる「ラポール」の形成過程のようだと直人は理解していた。また同時に誘導催眠も施されている。職業柄、こうした心理操作に対して、知見と防衛訓練を積んでいる直人は、反射的に警戒体制をとっていた。

「センパイ、そんなにガード固めてるとうまくいかないよ。大丈夫、アタシが付いているから。」同業者のサニには直人の反応はよくわかる。直人が固く握り締めている手に、サニはそっと手を乗せ、宥めるように「大丈夫…。」と何度か囁く。

そうだな…サニが一緒だし…

サニの声に直人はしだいに心のガードを解いていく。

「…では、直人さん。参りましょう。…目を軽く閉じ、貴方が今逢いたいその人を思い描いてください…」

AIの声がだんだんと遠退いていく。

「…貴方の無意識の中に息づくその人…」

意識のまどろみを感じ始める。

「…心の底に沈んでいた記憶…いま…それが貴方の目の前に現れます…」

身体の感覚が、一瞬途切れたかと思うと、次の瞬間、足元にグッと引き寄せる引力が全身を包み込む。

地に足がつく感覚を覚えると、いっとき奪われた五感が急激に回復していくのを感じる。

「さあ…眼を開けて…」消え入るようなAIの音声に従い、直人は静かに目を開ける。

開けた視界に飛び込んで来たのは、直人にも朧気に記憶のある場所…

「こ…ここは…」先程まで座っていたベンチは、クッションのついた背もたれのない長椅子に変わっている。待合室のような場所だ。

「きゃ、やだ!センパイ可愛い〜!」隣に腰掛けていたサニの声がやや上の方から聞こえ、反射的に顔を上げる。

「サ…サニ?あれ?」こんなに身長差があったろうか?いや、むしろ自分の方が背丈はあったはず…慌てて自分の身体を見回す直人。

すぐに自分の身体がずいぶん縮んでいる事に気づく。

「直人?どうしたの?」

サニの反対側から声がする。聞き慣れた声だ。

「か…母さん?」

「母さん?」ずいぶんと若返っているが、紛れもなく自分の母親に違いない。直人が思わず発した「母さん」という呼びかけに幾分困惑した表情を浮かべた。

「ねぇ…直人、今、誰かとお話ししてた?」

「ハロー!サニです!」サニが愛想よく挨拶するものの、母親は、直人の方をまじまじと見つめるのみ。

「…って、あれ?」困惑するサニは直人の後ろで、大振りのジェスチャーを交えながら何度か、呼びかけるがまるで気付かれない。

「サニさん…今は直人さんの記憶を再構成しています。ここにいなかった貴女は、直人さん以外には基本的に認識されませんよ…。幽霊みたいなものです。」AIのガイド音声が見兼ねかたように説明する。
「えー、そうなの…」サニは不満げに呟いた。

「オレの…記憶…?」なるほど、身体が縮んだ、いや幼い頃の自分がアバターとなっているのだ、直人はそう理解した。

直人は母に、首を横に振って素知らぬ顔をしてみせた。「そう…」母が直人から視線を外したその時、胸元の抱っこ紐の中から泣き出す赤ん坊の声が漏れてきた。「沙耶?」

「沙耶!あぁ…よしよし…直人、ママ、ちょっとオムツ変えてくるから。ここでパパ待ってて。」「う…うん…」

直人の返事を待つまでもなく、母は生まれて間もない妹を連れ、化粧室へと駆けて行った。

若い母親に幼い妹…待合室…

「そうか…これはあの日の…」

「あの日?…もしかして、ここは?」

サニは昨晩聴いた話を思い返していた。
直人は頷いて応える。

「ああ…震災のあったあの日…JPSIO…」

その事を直人が認識した瞬間、風景が目まぐるしく入れ替わっていく。どうやら、直人の無意識の記憶をスキャンして、直人の一番強い、父親との記憶を捜索しているかのようだ。

風景は飛び飛びで、表層記憶には残っていない、たわいもない幼い日の父親と遊んだ事、悪戯して叱られ泣いた事、妹が産まれる前、家族で旅行に行ったらしい思い出、妹が産まれる瞬間に父親に抱っこされながら立ち会った事…その時の感情まで呼び起こされながら走馬灯のように流れていく。

しばらくすると、再びJPSIOの待合室の風景に戻ってきた。自然と流れ落ちる涙が頬を伝う。

「幸せ家族じゃん…。」瞳を潤して、声を震わせるサニ。直人は声も無く頷く。

「…意識の奥底に埋もれてしまった、お父さんとの記憶…だいぶ想い出してきたかな?」

どこからともなくAIが語りかけてくる。

「…さて、ここまではほんの入り口。直人さん…ここからは、お父さんとの本当に想い出したかった記憶を呼び起こしていくよ…場合によっては、辛い想い出に直面するかもしれない…それでもここから進みますか?」

AIは声のトーンを落とし、問いかけてくる。
直人は、目を閉じ昂ぶった感情を鎮める。

「センパイ…?」

心配そうに覗き込むサニ。

「…大丈夫。行こう。それを知るために来たんだから。」直人は涙を拭って目を開くと、覚悟を決めて顔を上げた。「付き合うよ、センパイ。」
「ありがとう…サニ。」正直不安は感じている。今となっては、サニが一緒に居てくれるのは心強かった。

「…では、直人さん、サニさん。ゆっくり立ち上がって。」

二人が長椅子から腰を上げると、深いトンネルのような口がポッカリと口を開ける。
その中で二人を導くように小さな灯りがかすかに灯った。

「…その灯りがあなた方を導きます…さあ、どうぞお進みください。」

直人はサニの手をとり、トンネルの中へと足を踏み入れていった。

蝉の鳴き声に紛れた静かな波の揺らめく音が室内を優しく包んでいた。開かれた窓から、仄かに潮の香りが入り込んでいる。何故か懐かしさを覚える香りだ…。

亜夢は不意に目を開き、身体を起こす。

まどろみの中で、ふと何者かに引き寄せられる感覚に亜夢は、室内を見回す。
この部屋ではない…いったい何処から?

亜夢は、ベッドから降りると、感覚の呼ぶ方へふらふらと足を運ぶ。部屋の外、そう…部屋の外からだ…
妙な胸騒ぎに亜夢の足どりが早まる。

ドアの開く音にふと顔を上げる真世。
体調を崩していた母は今朝方、落ち着きを取り戻したので、真世は一旦、昼食がてら祖父母から借り受けている自宅へ帰宅。溜まっていた家事を片付け、母の部屋に泊まり込む準備を整えて戻ってきたところだった。

「亜夢ちゃん?」ふらふらと廊下に歩き出てくる亜夢に目が留まる。
容態は安定しているものの、亜夢はまだ1日のうち、決められた3食の時間帯くらいしか起きている事が出来ないと聞いていた。
まだ夕飯時には時間があり、亜夢は普段なら寝ているはずの時間帯だった。活動できる時間が伸びてきているのであろうか?

母の部屋に入室するのを忘れ、しばし真世は訝しむように亜夢を見つめていた。

亜夢は、廊下の窓辺に立つと青く広がる空を見上げて、うつろな表情を浮かべている。

その亜夢を廊下の曲がり角から、もう一つの視線が捉えていた。
真世から死角となるその場所で、神取は亜夢の動向を監視する。

トンネルに入ってから5分ほど、ひたすら暗闇を歩き続けていた。サニは何度か、ヘルプ画面を呼び出し状況を確認するものの、「深層無意識へアクセス中です。そのままお進みください。」というメッセージが表示されるばかりであった。

「もぅ…どこまで続くのかしら…。」不満と不安が入り混じった溜息をつきながら、小さな直人にしがみつくようにしているサニ。

「センパイ、小さ過ぎ…腰痛くなってきちゃった…。こういうところまでリアルなんだから。」「じゃあ離れたら?」

「やだ!怖いもん。…あ、そうだ、アバターの設定、変更できるみたい。実年齢設定にしない?」「いい…このままで。」

「そぅ…ま、可愛くていいけどさ…あっ?」

二人の目の前で灯りが静かに留まると、その灯りの光点が次第に姿を変えていく。

渦を巻く水柱のようだ…同じような柱が何本も直人とサニを取り囲むように足元から立ち上がる。

「な…何ここ!?」サニが直人にしがみつく手がこわばる。直人は身じろぎせずそのまま様子を伺う。

「…ここは…」無意識の奥底でくすぶる記憶の残滓が、パズルのように組み上がっていく感覚と共に、直人の目の前にその光景が広がっていく。

水柱は巨大な幾本もの水槽へと姿を変えていた。其々が共鳴し合うかのように振動し、朧気に発光している。先ほどまで、彼らを導いた灯も同じように一際大きな水柱を形成し、それは巨大な水槽、否、浄水タンクへと姿を変えた。

「そうだ…オレは…ここに来た…いつも入れなかったあのドア…あの日は何故か開いていて…」

直人はサニの腕を振り払うと、中央の一際大きな浄水タンクへと引き寄せられるように、ふらふらと歩み出す。

「せ…センパイ!…」サニが呼び止める声は届いていない。

「えっ?何!?」水槽の光はだんだんと紫色や赤黒い色合いに染まっていき、明滅を始める。その明滅に呼応するように、空間が生き物のように蠢いたかと思うと、サニはその空間の中へと引きずりこまれていくような気持ち悪さが身体の内側から込み上げてくるのを感じた。

「なんかヤバいよ!センパイ!!」

直人はその呼びかけにまるで気付かないのか、足を止めない。

「…そこに居るのは…誰…?」

直人は目の前の浄水タンクの内側に「何者」かの存在を確かに感じていた。幼い直人を包み込む母親の腕のように、その感覚は直人を引き寄せる。

「何なの…これって…」サニの脳裏にネットで見た噂が駆け巡る。

『…なんかさ、最近のオモトワ…時々気持ち悪い場面あるよね…』『そうそう…なんかグネグネした感触の…』『…怖くなって中断したんだけどさ…あのまま行ったら…』『…帰れなくなりそうな感じ?』『…絶対ヤバイって!』『…まさか、例の『神隠し』??…』

…ホントだったの!?

…知っていたのに!…危ないかもってわかってたのに!

「センパイ!!」内からこみ上げる焦燥感を吐き出すようにサニは叫ぶ。

直人の向かうタンクの中の水は直人が近づくにつれ、喜びの舞を舞うかのように烈しく渦を巻き、嬉々とした表情を浮かべ始めた。

「まさか…!?」

サニは意識がぐちゃぐちゃに攪拌されるような感覚の中で、水流の中に何者かの存在を感じ取った。

「メルジーネ…?」

亜夢のミッションで見た、あのメルジーネなのか…?

「なんで!?」サニの直感がそう認識した瞬間、激しい振動が空間を襲う。

その振動と共振して水槽群が震えだす。
振動は次第に激しさを増し、水槽の表面に次々とヒビ割れを走らせる。
その中に封じ込められていた水達は、自らを拘束していた戒めを次々と打ち砕き、喜びと共に踊り出す。

「きゃあああ!」たまらず悲鳴をあげるサニの足元を瞬く間に溢れ出た水が侵食していく。

直人はその異変にもまるで気づきもせず、浄水タンクのガラス壁へと取り付いた。
タンクの水流が瞳のような形を形成すると、直人は慈しむようにその水槽の中の瞳に手を差し伸べる。

水槽に浮かび上がったその瞳は大きく見開かれ、直人を捉えている…

…あなたと共に…

…あなたと…

「あ…あな…た…は?…だれ?…」

天を仰ぎ見ていた亜夢の口から絞り出るような言葉がこぼれ落ちる。その両の手を空に向かって開く。まるで、空に浮かぶ雲を捉えようとするかのように…。

そうしているうちに、亜夢の身体の周辺に仄かな光が溢れてくる。薄赤い炎の揺らめきのようなそのオーラは、真世の肉眼でもはっきりと捉えることができた。

「亜夢ちゃん!?」

亜夢は、明らかにサイキック能力を解放していた。施設のサイキック能力に対する抑制結界もほとんど効果がないようだ。

「まさか、これが『神子』か?」亜夢の放つ気配に神取の神経は張り詰めていた。その場へ踊り出そうとした神取は、それに先んじて、思わず亜夢へ駆け寄る真世の気配を察知し、再び身を隠す。

「亜夢ちゃん!!しっかりして!」

真世は呼びかけながら、天高く掲げられた亜夢の腕をとる。

「アツッ!!?」真世は思わずその手を離す。亜夢の身体は異常なほど発熱していた。

亜夢の身体は、まるで焚き木のように身体中から炎と煙のようなオーラを放つ。「…亜夢ちゃん…」なす術なく立ち尽くす真世。
亜夢が纏った炎は一層煌めきを増し、周辺に熱をも発する。

…いけない!…

亜夢は身体の中から発せられたような何者かの声に一瞬、戸惑いを見せる。
その隙に、亜夢の体のうちからその何者かの力が、亜夢の溢れ出そうになるものを押し留めるかのように、亜夢は開いた腕を引き戻そうとする。

「う…ぐっううう…」

その場で亜夢は、腕を伸び縮みさせ、身体をよじらせながらもがき苦しむ…

「もういい加減にして!早く止めてよ!!」

その空間は溢れ出した大量の水に覆いつくされていく。

サニはヒステリックに声を張り上げ、ガイドAIに終了を呼び掛けるも応答がない。コントロールメニューからも「強制終了」を試みるが、エラーが表示されるばかりだった。

水はサニの膝丈のあたりまで水かさを増している。直人も腰のあたりまで水に浸かっているが、全く意に介していないようだ。

「どうなってるのよ!」

水かさと共にサニの焦りは募る。

幼子の姿のままでいる直人を守れるのは自分しかいない。とにかく直人の居る中央のタンクへ近づこうと、サニは水の奔流を掻き分けながら足を進めた。ヴァーチャルとはいえ、足にまとわりつくその感覚は非常にリアルだ。

「センパイ!!」

直人にサニの声はまるで届かない。
直人は中央タンクと向きあったまま、その中の「存在」と一心に交感を続けているようだ。

…そうか…あの日、あの時…オレはキミに…

直人の記憶のピースが嵌ったその瞬間、まるでそれが起動装置であったかのようにタンクの中の「存在」が呼応して激しく渦巻き始めた。

「ぅあああああああっ!!」
一方で、宙を仰ぎ見ていた亜夢は一段と瞳を見開き、叫びながら亜夢は全身を震わせていた。

ゴゴ…ゴゴゴゴゴゴ!!

その渦の産み出す衝撃は、瞬く間に空間に衝撃波を撒き散らしながら、タンクはひしゃげ、自重に耐えかねて、内部の水を吹き出しながら圧壊する。直人の姿はその奔流の中に掻き消されていく。

「センパイ!!センパァァイイイ!!」

サニの悲痛な叫びを巻き込みながら、激しく振動し、もはや空間構成の制御を失ったヴァーチャル空間は、至る所で空間構成エラーを発生させながら崩壊する。

その空間は激しい衝撃を伴って弾け飛んだ…

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