11.無明の夜 −1

-IN-PSIDに赴き、『神子』の所在を確かめよ。-

『御所』へ『神子』の気配を捉えたと奏上して間も無く、神取に特命が下ったあの日も、西日の眩しい日であった。

紀伊半島の山間に、その集落はあった。

そこへ至る道筋は巧妙に隠されており、その集落の存在を知るもの以外、寄り付くものは無い。

古来、ここを守り続けてきた数少ない里人の伝承では八咫烏が神武天皇を導いたとされる道程とも、南北朝時代の南朝の隠れ里とも伝わっているが真相は定かではない。

その集落には数軒の古い様式の日本家屋が建ち並び、その中でも一際大きな御殿風の屋敷がある。
20年前の世界震災以降に建設されたのであろう、佇まいの見た目とは裏腹に築年数は然程経ってはいない。風情のある作りではあるが、不意にこの里に足を踏み入れたものがあったとしても、どこぞの企業主の邸宅のようにしか見えないだろう。

ここに住まう「権威者」の正体を知るものは誰もいない。
陰陽師である神取の一族も代々この権威者に仕えてきたが、「御所様」と呼ばれるこの人物には、神取も対面した事はなかった。

その日の夕刻、「御所」と呼ばれるその屋敷に呼び出された神取は、そこで直属の上司であり、また彼の師匠に当たる人物に面会する。

「其方に勅命が下った。」

山の端から燃え上がる西陽が、その仄暗い部屋を障子越しに照らす。

神取は姿勢を正すと、平伏して言葉を待つ。

「其方が感知した『神子』の霊気…探り当てた彼の地へ赴き、その存在を確かめよ。」

「御意…。」

和装のその老翁は神取に面をあげるよう促すと、言葉を続ける。

「其方の潜入工作は既に進めている。2、3日のうちに先方から接触があるだろう。なに、其方の医師としての実績なら何も問題なく受け入れられるはず…。」

神取を始め、「御所」に仕える者達の中には、表向きの顔となる職に就いている者も多くいる。神取も普段は、関西のある病院に心療内科医として勤務している。

「…20年か…あの時、「神子」を手中にし損ねて以来、我らの計画は変更を余儀なくされた…」

冷静を保つ神取の眉間にいく筋かの皺が走る。

「だが、「神子」を取り戻せたなら、我らの計画はほぼ成し遂げられたに等しい。…其方も一族の汚名を注ぐ好機ぞ、心して使命を果たせ。」

「はっ…。」老翁が片腕に持つ扇子で肩を軽く叩かれながら、神取は短く返答した。

「お師匠様…一つ、よろしいでしょうか?」

神取の眼差しは、元の冷徹さを取り戻している。

「んん…?」訊かれた老翁は怪訝そうに神取を見下ろす。

「…「神子」とは一体、何者なのですか?「御所様」は「神子」をもって何を為されようと…」

老翁は鋭い眼差しで神取を睨め付ける。

「控えい。」神取の口を塞ぐにはその言葉のみで十分であった。

「…申し訳ありません…出過ぎたことを…」

神取は再び平伏する。

「…いずれわかる事よ。」

老翁は神取に背を向けると障子を開け放ち、西陽に陰を落とす山の端に顔を向ける。

「…よいか神取。其方は「神子」を見つけ次第、直ちに報告せよ。そして彼の地にそのまま留まり、早期に「神子」と接触を図れ。」

「は…」

「神子がどのような状況にあるか、我らにも測りかねるが、首尾よく発見せし折は「神子」の信頼を得る事を第一と心得よ。」

「信頼?」妙な事を口にするものだ。神取は再び眉間に細やかな皺を刻む。

権謀術数が渦巻き、仲間ですら時として敵対する事すらあるこの「御所」に仕える者達にとって、「信頼」とは最も忌諱すべき道理の一つである。

「そう、信頼だよ…」

老翁は薄暗の西陽を背負い、神取に向き直る。影に包まれた彼の口元が僅かに微笑んでいるように見えた。

「我らの計画を滞りなく進めるには「神子」と我々の信頼が一つの鍵となる。…それと、もう一つ…。」

「御所様は、先方との争いは望んでおらぬ…いや、可能であればこちらの手の内に引き込みたいとお考えだ…。」

老翁は幾分顔をしかめながら、彼の主人の意向を伝える。

「なるほど…神子だけではなく、そちらの「信頼」も得る必要があると?」

「左様…」

「其方は可能な限り隠密に事を進め、我らが「神子」を引き取る手筈を整えよ。」

「心得ました。」

…我らの力をもってすれば、娘一人、力業でここから連れ出す事は容易い…だが、それでは「御所様」のご意向には沿えぬ。私も当面はここに溶け込んで機会を伺う他ない。…

神取は、式神らを諭すよう、抑圧した思念で御所の意向を伝えた。

…回りくどわいことを…「御所様」は一体何をお考えか…

肝心な事は伝えず、難題を押し付ける御所のやり方を兼ねてより苦々しく感じている彩女は、遠慮なく悪態を吐く。

…控えよ、彩女。御所様の御心を推し量るものではない…

…はっ…

彩女が恐縮したようなフリをしつつそのまま口を噤んだその時。

「神取先生〜!」施設のテラスの方から神取を呼ぶ声がする。神取が振り返ると、真世が小走りでこちらへ向かって来た。

…ちっ、宿主のお出ましか…それでは、旦那様…

…うむ…

長く伸びた神取の影に溶け込むように、彩女は姿を消すとその影を伝って真世の中へと戻っていく。

…我も引き続き…玄蕃もそう言い残すと、同じように影に姿を消し、施設の調査に戻る。

「…あれ?」真世は不意に妙な気配を感じた気がした。

「これは真世さん。どうなさいました?」

「いぇ…誰か居たような…」真世は辺りを伺うが神取以外、人の気配はない。

「私だけのようですが?…何かご用でしたか?」

「…あっ、すみません…用ってほどじゃないのですが、そろそろ戸締まりの時間になるので…。」

神取は、真世の瞳をじっと見据えている。
何故だろう…心の内を全て見透かされているような恐れを感じ、その動揺を隠すように顔を俯けた。

「あぁ、そうでしたか!これは迂闊でした。」

神取は唐突に柔和な表情を浮かべて小笑しだす。

「いやぁ、ここから見える夕陽があまりにも美しかったもので、つい長居してしまいました…すっかり沈んでしまいましたがね、はは。」

神取は、自分の額を軽く打つような仕草でおどけてみせた。
神取からは先ほどの空気が嘘のように消えていた。気のせいだったのだろうか?
少々間の抜けた風の優男がそこに居るだけだ。
気のせいだったのだろう…神取の笑顔に真世の緊張もほだされていく。

「ここは昔から夕陽の美しい景勝地ですから。…先生の故郷も夕陽は綺麗ですか?」

「それなりですよ。海に沈む夕陽はなかなか見れないところでね…。ここは良いところです。」

屈託の無い笑みを浮かべているように真世には見えた。

「ええ…私もこの景色、大好きです。」

二人はしばし水平線彼方の火が刻一刻と消えゆくのを言葉なく見送った。
夕闇の中、わずかなその残り火に照らされ浮かび上がる神取の横顔。切れ長にやや吊り上がった目尻、細い鼻筋は緩やかなカーブを描き、その先端は真っ直ぐその残り火へと向かう。
思わず真世は息を飲む。

「おっと、長居はできないのでしたね。戻りましょう。」

「え…ええ!」不意に振り向いた神取に真世は慌てて顔を俯けた。

神取と真世は、連れ立って施設の中へと戻っていった。二人の去ったガーデンに夜の帳が下りていく。

「かんっぱぁい〜〜!」

三つのビールジョッキが打ち合い、軽やかな音色を奏でる。
ここは、鳥海まほろば駅近郊の小さな繁華街にある和洋創作料理居酒屋。IN-PSIDの関係者御用達の店だが、地元の食材をふんだんに使った料理が好評で、遠方からの来客も多い。この日も満席で賑わい、個室を確保できたのは幸運だった。
乾杯の勢いでサニはビールを流し込む。
一口飲み終えたティムと直人は、みるみるうちにビールが消えていくサニのジョッキに目を見張る。

「ぷはぁぁ!!…おかわり!!」

あっという間に空になったジョッキを高らかに掲げながら、先ほどビールを運んできたばかりのウェイターを呼び止める。
ウェイターは目を丸くしてこちらを振り返った。「は、はい!只今〜!」そう返事を返しながら厨房の方へ駆けて行った。
AI化が進み、サービス業もアンドロイドや自動システムに置き換わり、こうしたウェイター業種も一時激減したが、人同士のコミュニケーションが見直され、最近ではウェイターのアルバイトやパートを置く店も増えてきている。特に学生の社会奉仕活動(無から有を産むことを可能にしつつあるPSI テクノロジーは経済の在り方も変えつつあった。その技術はライフライン、衣食住は居住地の国籍を持つものであれば最低限の保証を可能とし ー世界的な傾向であるが国家間、地域間格差はある。ー 労働の義務も大幅に軽減されている。仕事は生活を支える為よりむしろ、社会への奉仕や個人の自己実現、趣味の意味合いが強まっている。無論、仕事の内容に比して相応の対価は支払われる。)の一環として、こうした労働の機会が再整備されてきていた。彼もおそらく、IN-PSID附属大学の学生であろう。

「のっけから飛ばすねぇ。それに比べてナオのかわいいこと。」

対照的にほとんど減りのない直人のジョッキを覗き込み、ティムはからかい混じりの口調で評した。

「あ…うん…構わずやってよ。」直人は気の無い返事を返す。

「真世、誘い損ねたもんなぁ〜。やっぱ女っ気無いと盛り上がらんよなぁ。」
冷ややかな視線をサニに送りながらティムは嘯く。
「はぁ!?ティム、なにそれセクハラ!ここにいるでしょ!か・わ・い〜い女子が!」
反応が薄い直人を差し置いて、サニがお約束どおり息巻いたその時、「ビール追加!お待ち!」と、タイミングよく追加のビールジョッキが運ばれてきた。サニはおもむろにジョッキをトレイから取り上げると、再び飲み干し「おかわり!」とウェイターの運んできたトレイに戻す。ウェイターは空いた口が塞がらない。
「…ゲプッ…やっぱビールじゃなくて、楯野川、ボトルで。グラスは3人分!それと料理早くね!」だんだんと据わってきた目付きでサニはウェイターを睨めつけるように見上げた。
「た…只今!」脱兎の如く厨房の方へ舞い戻るウェイター。

「あーあ、かわいそうに…お前にすっかりビビってるぞ、あの子。」「どーゆー意味よ。ヒクッ…」

立て続けにビールを煽ったサニはすっかり酔いが回ってきたらしい。

「ってゆーか、せんぱぁ〜い。センパイが飲まないから、ティムがあんなこと言うんですよぉ!飲みましょうよ!」「そうそう、今日は最近凹みっぱなしのナオ君を元気付けようの会なんだからさ!」

サニとティムは揃って直人に迫る。

「さぁさぁ!」サニは直人にジョッキを持たせると、強引に口元へ運ばせる。

「うっ…わっわかったから!」気圧された直人はジョッキ半分ほどを一気飲みし、一息つこうとするが、「まだまだ足りないですよぉ〜」と、サニは直人がジョッキをテーブルに置くのを遮り、その手を掴んで、さらに畳み掛ける。
「ま、待って、ちょっと!」「ほらほら!」
「おい、加減してやれよ、サニ。」

3人が絡み合っていると、直人のジョッキを持つ左手に微かな振動が走る。サニが思わず手を離すと、直人の指輪型端末が発光し、電話の着信を知らせていた。(脳波感応を好まない直人は、五感通知機能に設定している。)直人は反射的にジョッキを持ち替えると手を広げ、親指をスワイプするジェスチャーをする。指輪が光学端末モニターを掌の上に形成する。
「あっ…」直人はモニターを確認すると掌を閉じ、モニターをシャットダウンしようとするが「待って待って待って!」と面白がるサニは無理やり閉じかかった直人の手をこじ開けた。ティムも興味本位で覗き込むと、そこには直人より幾分年下の若い少女のモニター越しに睨みをきかせている映像が映し出されていた。
「誰、この娘?」「おいナオ、いつの間こんな可愛い娘と?」

「い…妹…だよ。」そう言うと直人はもう一度、掌を閉じようと試みる。しかしその試みはサニにあえなく阻止された。
モニターの向こうで妹がイラついている。

「出てあげなよ。」「いや、いいから!」
「ポチッとな。」「あ、おいティム!?」

ティムはモニターの通話ボタンを押すとグッと身を乗り出し、モニターを覗き込む。

「あ、やっと出た。お兄ちゃん?…って誰?」

脳内音声設定をしていない直人の端末は、外部スピーカーモードになっておりティムとサニにも彼女の声は聞こえてくる。

「兄です。」真顔で返事するティム。彼女は画面に逆さ吊りに映り混んだ得体の知れない西洋人に引きつっている。 「こら、初対面の娘に変なもん見せないの!」ティムの顔を押しのけて割り込む。「へ…変なもんって…」

「ハロー!ごめんなさいね。オーストラリアから来たサニちゃんデ〜ス。妹ちゃんにかんぱぁい〜!」サニは直人の飲み残しているジョッキを掲げて見せると、モニターの前で飲み干した。ますます顔をひきつらせる妹。

「あの、、兄に代わってくれます?」怒りを端々に漂わせたその声にティムとサニはあっさり引き下がる。二人とも引き際は心得たものだ。二人の頭が引っ込むと、静かな怒りに打ち震えている妹の顔が映し出された。

「や…やあ沙耶…。」

「お兄ちゃん…お母さんに心配かけておいて酒盛りとは、いい気なものね。」

「い…いや、これはその…」さっきまでの騒ぎは嘘のように、そっぽを向いて、二人は運ばれて来た料理に粛々と箸をつけ始めている。

…フォローくらいしろよ!…

直人が苛立ちを露わにする間もなく、沙耶は静かながらに明瞭な口調で話し始めた。声楽家を目指しドイツへ留学している妹の良く通る声には流石に重みがある。

「お父さんの命日、どうするつもりなの?年忌法要の年じゃ無いけど、お母さん、ちょうど20年目だし、皆んなで集まりたいっていうから、私も帰国する予定なのに。…お兄ちゃんに連絡取れないって、お母さん心配してるのよ!」

ティムとサニは、食事に集中するふりをしながら、兄と妹の会話に耳をそばだてる。

「ご…ごめん。仕事で色々あって…」

「返事くらいできるよね!?」「…ご、ごめん。」

沙耶は溜め息混じりにやや口調を和らげて続ける。

「とにかく、お母さんに連絡してあげて。だいぶ気を揉んでるわよ。」「…わ、わかったよ。」「私も久しぶりにお兄ちゃんに会いたいし…それじゃね…」「うん…それじゃ。」

通話を切り、顔をあげる直人。

「…」箸を止めた二人の視線が突き刺さる。

「な…何だよ?」

「まあ、なんだ?その…うまくいってないのか?」「えっ?」
「そーそ、お母さんに会いたくないんでしょ?妹ちゃんもキツそうだしねぇ…」「はぁ?」
「会いたくない家族に会わなきゃならんのは確かにストレスだ。ひょっとして、最近のお悩みはこれかぃ?ナオ?」
同情したように声をかけるティムとサニ。

「いや、そんな事ないよ。そこまで家族仲悪くないし。」

「でも、お母さんに連絡とってないんでしょ?」「ま…まぁ…。」

「ナオ、何にしても話してみろよ。少なくとも、オレらは聞く権利、あるはずだぞ。」「そーよ。今日みたいな事、本番であったらたまったもんじゃないんだから!」

二人の言う事は正論だ。
直人としても話したくないわけではない…ただ、どう話してよいのか、考えあぐねていた。
二人は静かに自分の言葉を待っている…話さなきゃ…

「…自分でもよく分からなくて…うまく話せないかもしれなけど…。」

意を決して、直人は静かに口を開いた。

「…たぶん…父さんのことなんだと思う…」

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