9.魂たちの二重奏 −2

「この姿…『メルジーネ』か…!?」

ーメルジーネー

火の精霊「サラマンダー」に並び、錬金術の大家パラケルススが説いたとされる四大精霊のうち、水を司る「メルジーネ(ウンディーネ、ニンフとも呼ばれる)」

20世紀、分析心理学の礎を築いたカール・グスタフ・ユングはパラケルススに「無意識の心理学」の萌芽を認め、錬金術の一連の精製過程の中に、無意識の精神活動を見ていた事を指摘している。

パラケルススは、「メルジーネ」を彼がイリアステル(星辰的質料)と呼ぶ「万物の発生因」の水としての表れである「アクアステル」であると説く。ユングはこの「アクアステル」は物質に類似した属性を伴う「心的」原理であって今日で言う「無意識」と同等の概念であることを解き明かす。

一方で錬金術師は化学物質を熱する過程において、熱せられる物質に自己を投影し、精神的に灼熱の炎の苦悶と浄化を体験するという。彼の精神を熱する火はもはや目の前の物理現象としての火ではない。その「火」によって身体にも宿るとされる「イリアステル」が熱せられ、現実世界にある彼の心象を投影した物質同様に、その変容のプロセスをたどり、その過程で「アクアステル」である「メルジーネ」が現れるという。(ユングの言によれば、パラケルススが生成に成功させたと言われる人造人間「ホムンクルス」とは、この「アクアステル」を人格化した表象である。)
ユングはこの精神に宿る「火」こそ「火の精霊」すなわち「サラマンダー」であり、不易不壊の自己「セルフ」の表象である事も示していた。ユングはそれを生命の創造的形成原理であり、心的な個性化の原理とみなす。

パラケルススが「レトルトの蒸留」と呼ぶこの錬金の秘術において、「サラマンダー」の火の浄化は「イリアステル」から純化された英知の霊を抽出するが、これを凝固し完結するには、「メルジーネの働き」に対抗しなければならないという…

「メルジーネ」はゆっくりとその頭部を擡げるようにして<アマテラス>を見据える。
否、その眼は<アマテラス>と同化している亜夢の「セルフ」を捉えている。

…水泡より生まれし我が身…

…生まれ出でし時より、泡へと帰す宿命…

まるで祈りであるかのような「メルジーネ」の囁きが、亜夢の「セルフ」を抱く直人の変性意識へと流れ込んでくる。

<アマテラス>の眼前には、更に距離を詰めてくる「メルジーネ」の頭部が迫っていた。

亜夢の身体的な特徴をフィードバックしているのか、亜夢の容貌に酷似している。しかしその表情は生気のカケラも感じさせない、氷細工のそれである。

「何をしているの、ティム!回避よ!」

垂れ迫ってくる目と鼻の先の「メルジーネ」への対処を怠っているティムへカミラは苛立つ。

「やってますって!操縦系統がまるで動かないんだ!」ティムは、舵を左右に切ろうともがくが、その操縦桿はまるで凍りついたかのようにビクともしない。

「操縦系統だけじゃない!機関出力20%ダウン!シールド発生機能停止!PSIバリアジェネレーターに異常発生!!」「何ですって!」アランの立て続けの異常報告に焦りを隠せないカミラ。ブリッジは突如、警報に包まれ、モニターに次々と赤い警告表示が浮かび上がり、ブリッジ照明が落ちると赤い非常灯へと切り替わる。

…鎮まれ…我と共に無明の虚空へ…

メルジーネの術中にはまり身動きを封じられた<アマテラス>のモニターいっぱいにメルジーネの顔が広がる。

「メルジーネ接触!!」サニが焦りに満ちた悲痛な叫びをあげる。
まるでモニター面の境界が無いかのようにめり込んできたようにみえたその時、前面のモニターからドロリと水の塊のようなものがブリッジへと流れ込む。
「きゃあああ!」恐怖におののくサニの悲鳴がブリッジに木霊する。

「インナーノーツ!どうなっている!?状況を…!」IMCとの通信が遮断されると同時に両舷側面のパネル、各席のパネル類から、そしてPSI モジュールからも水のような形質を持つ流体が溢れ出す。半霊半物質的な「エクトプラズム」と呼ばれる謎の現象に酷似している。

突然、<アマテラス>との通信が途絶えたIMCではアイリーンと田中が状況確認に全力を挙げる。

「<アマテラス>、PSI バリアに異常感応!メルジーネの侵食を受けている模様!!EMG(エマージェンシー)発生!」かろうじて捉えた<アマテラス>の信号を確認したアイリーンが声を張り上げる。
「何だと!?…しょ…所長!」東は想定外の状況に藤川の判断を仰ぐしかなかった。

「…サラマンダー…メルジーネ……イロク…」

藤川は思索を巡らせる。

「くっ!アイリーン!緊急回収コードを!真世、ダミートランサーをありったけ稼働させて、<アマテラス>の脱出をサポート…」

「待て!」

東の<アマテラス>の救出指示を藤川が制止する。

「所長!?」顔を蒼ざめさせながら東は藤川を窺い見る。IMCのスタッフらも東に続いて藤川に視線を向けた。

「メルジーネの試練…これを超えねば亜夢に救いはない。」

藤川は決然と言い切った。

<アマテラス>のブリッジいっぱいにエクトプラズムが充満している。ブリッジの<アマテラス>各機能の稼働を示すランプ、メーター類が一つ、また一つと消えていく…それと同時に機関の回転音も終息する。

<アマテラス>の機能を完全に征服したエクトプラズムは、さらにインナーノーツの精神にまで浸透し次々と彼らの意識をも奪っていく。

…亜夢!…なぜ…

変性意識下でPSI-Linkシステムに接続している直人は、その様子を外部から眺めるかのように俯瞰していた。自分の肉体がそのまま眠りに落ちていくのが見えた。

ブリッジは今や海中の様相に様変わりしている。その中央で亜夢の「セルフ」を投影したホログラムが命の最期の煌きを放つ。

ホログラムとキャプテンシートの中程でエクトプラズムは再びメルジーネの形状をとると、静かに「セルフ」へと近づく。かすかに意識を残していたカミラは、手を伸ばしそれを制しようとする。しかし、その手がメルジーネへと届く事はなく、カミラの意識は深い眠りに落ちていった。

メルジーネが「セルフ」のホログラムと重なっていく…その炎は消されまいと一層の命の火を燃やすが、抵抗虚しく抑え込まれていく。メルジーネの冷徹な視線は動じる事なくその命の灯火が消え逝く様を見守る。

…やめるんだ!…

メルジーネは、その声に反応を示した。
この死せる水の只中でまだ生あるものがいるというのか…

辺りを見回すメルジーネ。

前方の席で頭を垂れて、意識を失っている者に視線が止まったその瞬間…

水に浸かったブリッジの風景が消え去り、立ち代わりに柔らかな暖かみのある空間が広がる。

暗がりの中で、一人の青年が弱まり怯えた炎を守るように抱きかかえている。
先程まで目の前で倒れていたはずの青年だ。

…!

その姿を捉えたメルジーネは立ちすくむ。
周辺の空間がざわめく。

…未練など…

ネルジーネは祈るように精神を統一していくと空間のざわめきは一つの氷の刃となって青年へとその切っ先を向ける。

…なぜ、拒む!…この子は、亜夢はきみ自身…

…そうじゃないのか!?…

直人は声を張り上げる。

…っ!…

…宿命って何なんだ!なぜ生きる事を拒絶するんだ!…

カタカタと氷の刃の切っ先が震えだす。
直人はメルジーネの方へ近づく。その手に「亜夢」を抱きしめながら…

…く…来るな…

メルジーネは後ずさる。
口元が戦慄き、凍りついた顔相に微かなヒビが走る。

…我が命は貴方の…貴方ために!

メルジーネの暗く沈んだ眼孔が潤みだす。

…おのれ、我を惑わす幻影よ!消えよ!

氷の刃が直人へ飛びかかると、一瞬にして直人の胸を貫いていた。

…!!

確かな手ごたえを感じとるメルジーネ。

直人は膝をおり、胸元に抱いた命の灯火を守るようにしながら、その場に倒れ伏した。

…ま…まさか…

…うぅ…苦しげに呻く直人。

メルジーネは恐る恐るその直人の顔を覗き込む。

…あ…貴方…貴方なのですか…なぜ…

メルジーネは恐る恐る直人の方へと近づく。
その身体から氷の破片がハラハラと砕け落ちる。

…我は…我は一体…

直人はメルジーネを仰ぎ見た。
メルジーネの氷の顔が半分割れ落ち生身の人の顔が覗いている。亜夢とそっくりだ…。

…うっ…ぐっ…

直人は絞り出すようにメルジーネに語りかける。

……死ぬために…生まれてくる命なんて無い…

腕の中の「亜夢」はそれに応えるように再び熱を帯びてくる。

…命は…命は、生きるためにあるんだ…

直人の胸へと突き刺さった氷の刃は、一層燃え上がる「亜夢」の炎によって次第に溶け出していく。それと共にメルジーネの身体は一層氷解してゆく…

…生きよう…アム…ネ…リア…

…!!

「アムネリア」直人が何度も胸に込み上げてきたその名で呼びかけると、メルジーネの表層は崩壊し、慟哭に打ち震える亜夢に酷似した一人の女性が姿を現わす。

…うぅ…う…我は…わたしは…貴方と共に…

…あぁ…

直人はそっと彼女を抱きしめる。
そのまま彼女は倒れこむように直人の胸元へと泣き崩れると、直人のもう一方の手の「亜夢」のセルフが一段と光を放ち直人と彼女を包み込んでいく。

「!!」

直人が不意に目を開くとそこは<アマテラス>の赤い警告灯に包まれたままのブリッジ…そこに充満していた大量の水は跡形もなく消え失せている。

「ティム!」横の席でうな垂れているティムの肩を揺すりながら呼びかける。

「うぅ…う…ん…」ティムは意識を取り戻したようだ。直人は空かさずブリッジ後方に目を向ける。

「隊長!…副長!…サニ!」

直人の張り上げた声に応じるようにブリッジ後部の3人も次第に意識を取り戻していった。
振り向いた直人の視界に亜夢の「セルフ」を投影したホログラム映像が入り込む。先程まで赤ん坊の姿をしていたその映像は、青や赤などの色彩を放つ光球に変容していた。

「亜夢…」

「…ぅっ…いっ…一体何が…」鈍い痛みが残る頭を押さえながらカミラは顔を上げた。

すると機関の始動音がブリッジ後方の方から聞こえてくる。<アマテラス>の各部機能が意思を持っているかのごとく、次々と稼動ランプやモニター類に火が灯っていく。

「…おっ!いけるぞ!」操縦桿を左右に回しながらティムは<アマテラス>にかけられた戒めから解放された事を確かめる。

「『サラマンダー』…『メルジーネ』…第1、第2機関其々にPSI パルス同調しながら均衡している?…相乗効果によるエネルギー供給…機関通常出力に対し250%!?何だこれは!?」

復旧した<アマテラス>の機関モニターに弾き出された、理論限界値を軽々とオーバーしている数値にアランは驚愕した。普通なら機関が暴発するレベルであるが、機関内圧は正常値のままである。

「そんな事って…」カミラにも<アマテラス>の状況が普通ではない事は容易に理解できた。
「…ありえない…だが…」アランもそれ以上、状況を説明することはできない。

<アマテラス>外周の心象風景からは先程までの青空も、メルジーネを生み出した雨雲も
消え去り青や赤などの光彩に揺らいでいる。

ブリッジ中央に映し出された光球のホログラムの揺らぎと同期しているようだ。

「サニ!ここは何処なの?」

「わ…わかりません…全ての時空間パラメーターが変動しまくってて…」カミラの問いにサニも答えることは不可能だった。

「またも…時空間断層?」「いや、PSI パルスの同調がマックスレベルだ…むしろ無意識域変容の真っ只中…」カミラの最悪の予測にアランは仮説で返す。

…亜夢…アムネリア…

直人は「二人」にPSI-Link システムを通して呼びかける。そのモジュールに載せた手に力がこもる…直人は変性意識のイメージと肉眼で見えるモニターの画像をすり合わせるようにして、空間に「目」を凝らす。

「サニ!座標1-2-2!拡大投影!」

「えっ…」「いいから、早く!」

「はっ…はい!」

サニが直人の指定した座標をビジュアル構成の焦点を当てていくと微かな肉体とのコネクション変異場の煌きが見えてくる。非常に不安定な煌きであり、亜夢の肉体が風前の灯火であることは明らかであった。

「ティム!針路1-2-2!全速前進!」

「了解!」

目標座標を目指し、針路をとる<アマテラス>。

「くっ!駄目だ!時空間変動が激し過ぎる!針路設定不能!」ティムは何度も航路修正をしながら船を目標へ向けるが、その度に時空間乱流の波に針路を狂わせられる。

「ここまで来て!」カミラは口惜しげに片手を握りしめ、唇を噛みしめる。

…何か手があるはず!何か!

直人は懸命に思考を巡らせる。

…!

「副長!シールド展開用のPSI 精製水は!?」

「残量20%…だがシールド展開してもこの時空間変動には…」

「それだけあれば!船首装備へ機関に蓄積している余剰エネルギーをバイパス!『二人』のPSIパルス情報を水に転写してあそこに撃ち込む!」

「二人?」直人の表現に違和感を感じたティムが横から疑問を投げる。

「メルジーネ…「もう一人」の亜夢だよ…「セルフ」を受け入れようとしている…。」

直人の視線を追うティム。ブリッジ後方の三人も合わせるように視線をその先に向けた。ブリッジ中央のホログラムの光球が色を変えながら混ざり合おうとしている様相で、一同は納得する。

「『二人』をあそこに送り届ける!」

「…よし。やってみるか!」アランは幾分思考を巡らせると、さっそく準備に取り掛かる。

「待って、アラン、ナオ!?」それでこの窮地を脱することができるのか…下手をすればこの不安定な時空間変動の中でエネルギーを著しく消費する事で、<アマテラス>をインナースペースの藻屑にしかねない…カミラは戸惑いをみせる。

「カミ…」
「お願いです!」

カミラを説得しようと口を開きかけたアランを制して直人が声を張る。アランは静かに微笑むと、直人に発言を譲った。

「やらせてください!」

「ナオ…」決然と意思を示す直人にインナーノーツ一同は圧倒される。

「…今回は貴方に負けっぱなしね、ナオ。」

カミラは顔を少し俯けて呟く。

「どの道それしか手がなさそうね…。」

カミラも覚悟を決め、顔を上げ直人を見据えた。

「決めて頂戴よ、ナオ!」

「はい!」

「ナオ!船首装備管制をPSIブラスタ照準システムからのコントロールに切り替えた。いつでも撃てるぞ!」

「ありがとう!副長!」直人は再びPSI-Linkシステムモジュールに手をかざすと、意識をシステムに集中させていく。正面モニターに照準が表示される。

「この一射に賭ける!各自、最善を尽くせ!」カミラは声を張って檄を飛ばす。
「了解!」一同の声が重なる。もはや誰の目にも躊躇の色はない。

「サニ!可能な限りターゲット座標を絞り込んで!ティム!全スタビライザー、及びスラスタ全開!船首を目標へ連動!」

ティムとサニは連携して、変動する時空間乱流の中、ターゲットの捕捉に全力を挙げる。
かの与一の如く、波間に揺れ動く扇に狙いを定めるようなもの…ターゲティングは困難を極める。

「急げ!この時空間変動の中ではあと5分が活動限界だ!」

アランは、エネルギーバイパスの切り替えと時空間変動の影響監視を同時に処理している。

「やってみせますって!」ティムはスラスタ制御を半舷に絞り、その勢いで船体をドリフトさせると船は弧を描くように半回転する。

その勢いを打ち消すように逆サイドの量子スタビライザーを空間に突き立てる。その反動は物理量としてブリッジに衝撃となって返ってくる。右舷後方のスタビライザーがその次元間圧に耐えかね圧壊する。

「ターゲット!有効範囲内!!」衝撃に振り落とされまいとレーダー盤にしがみ付きながら、サニは空かさずレーダーの反応を報告する。その直後、直人の変性意識とPSI-Link接続した照準が正面モニター内で赤く点滅し、ターゲットを感知したことを告げる。

「ナオ!!」僅かな照準ロックオンのタイミングを逃さないカミラ。

「発射ぁ!」直人はカミラの発令に反応して、トリガーを引く。

二機の機関に各々蓄えられた余剰エネルギー、すなわち亜夢とアムネリアの「二つの魂」が船首に蓄えられたPSI 精製水を核にして注連縄のように絡み合い、船首射出口より放たれる。

そのエネルギー流は時空間乱流を巻き込みながら一直線に目標座標へと突き進む。

…もう一度、生まれてくるんだ!…亜夢!!

「行けぇぇぇ!!」

放たれたエネルギーの奔流が微かに光る時空変異場へと吸い込まれていく…

固唾を呑んでモニターを見守るインナーノーツ。

その変異場中心から眩い光が漏れはじめたかと思うと、<アマテラス>周辺に広がる空間いっぱいに一斉に光が広がり、<アマテラス>もその中へと包まれていった。

唐突に目を見開く亜夢。
それと共にバイタルの各波形が飛び跳ねるように脈打ち出す。

「お…おじいちゃん!バイタル値上昇!これって!?」

「何!?」

真世は動揺したまま眼下の亜夢を見つめる。
IMCの一同もコントロールブースから一段下に位置する亜夢の収容カプセルを覗き込んだ。

カプセルの中で亜夢は何かを求めるようにゆっくりと手を持ち上げ、その手を自分の身体に重ねている。

そのまま亜夢は確かめるように自分の身体を抱きしめた。

「う…うぅ…う…うわぁ…ぁあ…」

「泣いてる…の?」真世はカプセル内の音声に、亜夢が咽び泣いていることに気づく。

「あああ…わあぁぁぁ!」

それはやがて慟哭となってIMCの室内に響き渡った。

「真世!どうしたの!?ミッションは…インナーノーツは?」

「おばあちゃん…わからない…でも…」

モニター越しに状況確認を求める貴美子に真世も明快な回答を示すことはできない。IMC の一同もそれは同じであった。

IMC大型モニターには、先程まで映し出されていた嵐に見舞われた心象風景は消え、青と赤の二つの巴が混じり合ったような色の雲のようなモヤを写すのみであった…

…ザザァァ…

…ザザァァァ…ザァァァ…

静まり返った<アマテラス>のブリッジ。
何処からともなく波の囁きが聞こえてくる。

激しい閃光に包まれ、ホワイトアウトしていたモニターが回復してくる。

晴れ渡った空の下、頭上天高くから降り注ぐ太陽の光に白く照り返る砂浜がモニターいっぱいに広がり始める。

砂浜には大小の建造物の瓦礫のようなものが散乱している。
波に打ち上げられたもののようだ。

インナーノーツ一同は、その光景にしばし目を奪われていた。

モニターにいくつかの影が立つ。
人影のようだが判然としない。

…っかり…しっかりしろ!…

……

…あっちはダメだ…この人は…

…いや…もう息は…

…妊婦さんか…お気の毒に…

「何…これ…」サニが聞こえてくる声を気味悪がる。

「亜夢の…記憶…?」直人は直感的にそう感じた。

…!

…おい、待て!

…今、何か動いたぞ…

…まさか!

その声に呼応するかの様に、<アマテラス>に小さな、しかし力強い振動が伝わる。

また一つ…また一つ…

確かな鼓動が確かに脈打っている。

…間違いない!まだ生きてる!子供はまだ生きてるぞ!…

…何!…ホントだ…

…まだ助かるかもしれん!急げ…

…お、…おう!…

心象風景がまどろみ始め、さざめく波の音が次第に遠ざかる。

「…亜夢…」

直人は胸に刻み込む様にその名を呟く。

瞳の奥から込み上げる熱…

…生きる…生きられる!…

亜夢の生への強い意志と喜びが止めどなく伝わってくる。

右の肩に誰かの手が触れた。ティムだ…
直人は、瞳から溢れ出そうになるものを見られまいと顔を彼と反対の方向に伏せる。

ティムは前を向いたまま、直人を労うような穏やかな口調で語りかけた。

「これから始まるんだな…この子の…亜夢の本当の人生が。」

「…ああ。」直人は目頭を拭うと、静かに顔を上げた。<アマテラス>のブリッジを安らかな空気が包み込む。

「…ナーノーツ!…インナーノーツ!応答せよ!インナーノーツ!」

開かれたままの通信回線に聞き慣れた声が飛び込んで来る。迷子の我が子を必死になって探し回っているかの様な緊迫した声だ。

「あーっもぅ!チーフ!せっかくの雰囲気ぶち壊し〜。」サニがうんざり気味にボヤくが、どこか嬉しそうな表情を浮かべている。
サニのその声にインナーノーツ一同にも笑顔が戻る。

「ふふっ。ずいぶん心配かけてしまったわね…。」

カミラは顔を上げてインナーノーツ全員の顔を見渡す。その表情は晴れやかだ。

「さあ…帰りましょう!」

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