6.眩惑 −1

「あ、神取先生ですか?」

病院棟の方から駆け寄ってくる人影が呼びかける。

直人はその声に反応し、振り向いた。
声の主が誰かはすぐにわかった。真世だ。

「あれ、風間くんも?」

「や、やあ…」

意外そうに直人を一瞥するが、すぐに神取の方を向きなおす真世。

「遅くなってすみません。案内をさせて頂きます、藤川です。」

軽く会釈をしながら神取に挨拶をする。

「神取です。藤川さん…もしや医院長先生の?」

「ええ、医院長は祖母です。さ、どうぞ中へ。」

真世は神取を先導し、病院棟の入り口の方へ歩み出す。神取は、直人に軽く会釈しそれに続いた。

「あっ。」ふと真世は立ち止り振り返る。

「風間くんもどうぞ。お見舞いでしょ?案内するよ。」

直人の手土産から誰かの見舞いに来たと察したらしい。

「あ、うん。」直人は言われるまま、真世と神取の後に続いた。

病院棟の中は、外来の受付時間も回り、受付のスタッフらも帰り支度を始めていた。

神取は、もう少し早く来るつもりだったが、引っ越しの対応に手間取ったなどとたわいもない話をしている。見た目の印象より気さくな話しぶりに、真世も緊張がほぐれたようで、笑顔を見せながら応対している。

直人は二人の会話を後ろから黙って見守りながらついて行くしかない。

吹き抜け構造でガラス張りを多用した開放的なエントランスには、傾いた陽の光がいくつかの光条を作り、壁面をキャンパスとして黄金のアートを描いている。

3人はその吹き抜けのフロアを見渡せるように設置されたエレベーターに乗り込む。
5階建の病院棟の中間、3階が事務フロアとなっており、医院長の貴美子の部屋もここにあった。

迷う事なく医院長室に神取を案内する真世。
部屋の前に設置されたインターフォン越しに
貴美子を呼び出す。

「医院長。神取先生をお連れしました。」

少しの間をおいて返事が返ってくる。

「どうぞ、お入りになって。」

ドアが開く。真世も「どうぞ。」と神取を促す。神取は真世に簡単に礼を述べると入室した。

「神取です。この度はお世話になります。」

神取は貴美子に一礼しながら挨拶をする。

中には貴美子と、もう一人、神取の研修を担当する医師が待機していた。

「ようこそ、神取先生。…あら?」

貴美子は、神取の後ろから部屋を窺っている真世と直人の姿が目に入った。

「直人君も?こちらに来るなんて珍しいわね。」

「お見舞いみたいなの。風間くんも案内するから、私達はこれで。」

「そう。真世、ありがとう。」

貴美子が案内の礼を言うのに合わせて、神取も二人に軽く会釈を送る。

一瞬、神取と目が合う直人。
ふと妙な気配を感じた気がした。

真世の方は何も感じていないようだ…

気のせいだろうか?

「神取先生、こちらへ…」貴美子が神取を部屋の奥へ招き入れるのを見届け真世と直人は部屋を後にした。

来た廊下を戻るように進む真世の後に直人は続く。

「神取先生ね…」

話し出すきっかけを掴めずに無口になっている直人に真世は歩きながら話題を提供する。

「風間くんのお爺さんの紹介らしいよ。」

「えっ!?」藤川所長と祖父が旧知の仲なのは知っていたが、祖父とも疎遠になっている。もちろん、そんな話は露ほども知らない。

真世のことといい、身内のことといい、いつも自分の預かり知らないところで物事は進んでいく。直人にとって、世の中は自分とは全く異なる別の時間軸で進んでいるもののように時々思えてしまう。

「私も詳しいことはよく知らないけどね。うちの最先端のPSI 医療の研修させて欲しいんだとか…」

「ふぅん…。」直人にはあのどこか得体の知れない神取という男の事より、真世ともっと話したい事が沢山あった。「最近、どうなの?」「お母さんはいつから…」話かけようとする言葉が浮かんでは水泡のように頭の中で消えていく。

二人は先程降りたエレベーターの前に戻ってきた。真世はスイッチを押し、エレベーターを呼んでいる。

「ところで…誰のお見舞い?お友達?」

真世は直人の手土産に視線を落としながら尋ねる。

「あ、これ。その…。」

ポーンとエレベーターの到着音が鳴りドアが開く。

「キミのお母さんのところに…」

「え?」意外な直人の返答にキョトンとなる真世。

「さっき訊いたんだ。お母さんのこと。む…昔良くしてもらったし…それで…」

それ以上の言葉が出ない。視線を自分の手土産に落とし、俯く。

エレベーターのドアが閉まりかける。

それに気づいた真世が素早くスイッチを押し直すと扉が再びゆっくりと開いた。

「なんだ、そうだったの。それじゃ乗って!」

真世は先にエレベーターに乗り込み、直人を招き入れた。

直人はエレベーターのパネルを操作する真世の横顔を盗み見る。心なしか、先程までより微笑んでいるように見えた。
彼女の漆黒の髪は夕陽に照らされ、赤銅色に輝いている。幼い日、初めて真世に出会った日…
あの日もこんな夕陽の眩しい日であった。
病室でふと目覚めた直人をじっと見つめていた少女。まどろみの中見た、あの日の少女の髪の色。その頃の記憶はほとんど薄れているが、その時の印象だけはよく覚えている。
あの時と同じ色だ…直人はそう思った。

間も無くエレベーターは一つ下の階に到着する。このフロアから真世の母のいる長期療養施設に向かうことができる。

「ママのこと…話してなかったっけ?」

渡り廊下を進みながら真世は話を続けた。

「うん…。」直人は俯きかげんに相槌を打った。

「ごめんね、なんかいつも話する機会がなくて。」

「そうだね…。」

「でも…今日はありがとう。訪ねてきてくれて。」

素直な気持ちで感謝を口にする真世に直人の心は和らいだ。この時ばかりは、手土産と共に背中を押してくれた自称親友に、感謝せずにはいられなかった。

陽は姿を消し、ガラス張りのドーム状の渡り廊下は黄昏の色に染まる。

二人は渡り廊下を渡りきった療養施設の入り口のゲート前で立ち止まった。ゲートは二重の作りになっており、手前に改札口のようなフラップドアとその奥に薄白く発光している重々しい扉がある。扉の発光は電磁結界の稼動を示している。(安全を考慮し、視認性を付加している。)

その時、直人はまたあの妙な気配を感じる。
気配のする方に振り返るが、何もいない。

「どうかした?」直人の様子に気づいた真世が尋ねる。

「い…いや、何でもない。」

「こっちに来て。」真世に言われるまま、扉の前に立つ直人。カメラ状のセンサーが二人を捉え、スキャニングを開始した。人相などの身体情報や所持品検査だけでなく、固有PSI パルス情報まで感知し、登録者以外の人物から霊的存在の侵入まで検出する。

「ここの施設、結界があるの。それを抜けるためのセキュリティーチェックよ。」

戸惑っている直人に真世が説明した。
直人もIN-PSIDの中枢区画で同様のセンサーは何度も見ているし、実際、I.M.Cなどにも設置されており、入室時は毎回チェックを受けている。
ただ、中枢区画の入室権限はあるが、はたしてこの区画に入れるのか?

「大丈夫。ウチのスタッフなら特に問題ないから。」

真世が直人の疑問を察して答えている間に、スキャニングは完了し、フラップドアと奥の扉が開いた。

「ね、行きましょう。」

二人は扉の奥に進む。
二人を招き入れた扉は再び閉ざされ、瞬時に結界が張り直される。

その二人の去った扉を姿なき視線が見つめていた。

…結界か…厄介だな。…

…そこまでして守るものがある…

…あるいは封じ込めたいものが…やはりあの奥か…

…さあてね。それよりあのボウヤ、あんたに勘付いたようね。…

…ふん、そなたの方は鈍いようだったな…

…あの娘かい?…ふふ、ちょいと面白い娘よ…

…面白い?…

…あの娘、使える…

…ふん、とにかく戻るぞ…

視線の主は何処かに消え去った。

「あ、ティム!センパイ見なかった?」

IN-PSID中枢区画のエントランスホールで、私服に着替え帰り支度を済ませたサニが、退屈そうにホールの椅子に座り込んでいた。

「さぁな。さてはデートか?」

ティムも帰り際のようだ。

「ンなわけ…んーそんなところ?」

「はぁ?」怪訝そうな表情を浮かべるティムに、サニはペンダントに組み込まれたホログラム投影機でバーチャルネットの画面を表示して見せる。

「これよ。これ。アンタ知ってる?」

ティムはその映像を覗き込む。

『Eternal Heart 想いは永遠に』のタイトル。そのタイトルからポップな吹き出しが飛び出し、「お・も・と・わ」の可愛らしい字体が浮かび上がる。

「あー、これ。一時期社会現象になったよな。俺はやったことねーけど。」

想い人から既に故人となった人まで、逢いたい人に会えるという触れ込みで大ブレイクしたバーチャルネットサイトである。

サイトの説明によれば、アクセスした人物の深層心理から逢いたい人物のバーチャルモデルを形成して、仮想現実世界でコミニュケーションを可能とするらしい。要は、臨場感がある好きな人の夢を観ることができるようなものである。

一時期、サイトにハマり込んだユーザーらが現実とバーチャルの区別がつかなくなり、問題行動や犯罪にまで発展するケースも発生。

何度か閉鎖の事態に追い込まれながらも、熱心なユーザーに後押しされ、規制やセーフティーを整備しながら約3年程運営継続されて来た。

現在はバーチャルネットユーザーらには、初期に比べ物足りなさは指摘されてはいるものの、かなり安全に使えるようになったと評価されており、バーチャルネットのライトユーザー層にも浸透してきている。
しかし、一般的にはまだ「怪しい」サイトとの認識も根深い。

「で、オモトワがどうしたわけ?」

「センパイ、真世さんの話になると思い詰めちゃうでしょ。アタシ、昼余計なこと言っちゃったみたいだから…まぁ罪滅ぼし?」

「なるほど。あいつにこれで真世とデートさせようってか?」

「気晴らしくらいにはなるでしょ。それに…」

サニは悪戯な笑みを浮かべる。
あー、コイツ、「オモトワ」使った直人の反応みたいだけだろ。ティムはサニの思惑を読みとった。

「でもこれ、専用機で予約制だろ?激混みって聞いたぞ。それに、ウチらこーゆーの、ちょいマズくない?」

インナーノーツは職務上、「オモトワ」のような心身負荷の高いヴァーチャルネットサービスは、禁止はされていないものの、自粛、自制の指導を日頃からされている。

「ちょっとくらい平気よぉ!」

もっともサニには、そのような殊勝な心がけはない。

「ウチのゼミでも流行っててさ。たまたま今夜予約してたコが、キャンセルするってんで、アクセス権譲渡してもらったの。で、センパイ探してたんだけど…」

指輪型の小型光学投影機モニターから映し出されたメールボックス画面を眺め口を尖らせて呟く。

「センパイ、テレ・メ(テレパス・メール:脳波感応式メール)も返事くれないしさ。いつも早いくせに…」

ティムはそれを聞いて状況を理解し、ほくそ笑んだ。どうやら彼の作戦は功を奏したようだ。

「残念だったな、サニ。ナオにはそんなサイト、必要ないってことさ。」

「はぁ?それどういう意味?」

「んじゃ、お先!」

「ちょっと、ティム!」食い下がろうとするサニに振り向きもせず、ティムは軽く手を頭上で振って、夕闇の中に姿を消す。

「必要ない?…えっ、マジ?」

同じ頃。
直人は真世と共に実世の部屋に訪れていた。
ちょうど、実世は早めの夕食を済ませた頃合いであった。

直人はお見舞いの菓子折りとメロンを置いたら、帰るつもりだったが、引き止められ一緒に持ってきたケーキをつまんでいた。

「活躍は父から聞いているわよ。あの時の直人くんがこんなに立派になって…」

「いえ…そんなこと…」

何を話せばいいのか戸惑っている直人。
実世は反対に珍しい客人に嬉しかったのか、昔の話や直人の母の事、最近の真世の事など、取り留めなく話を続けている。

長い病床生活と闘病でやつれてはいるが、端麗な顔立ちと透き通るような肌は、幼い頃、直人が目にした姿そのままであった。病さえなければ、真世と姉妹のように見えたかもしれない。

「お茶、はいったよ。」

真世は淹れたお茶と切り分けたメロンを実世と直人に配り、自分もテーブルに着く。

「もぅ…あまり引き留めちゃダメよ。ママ。」

「ねぇ、風間くん。」と真世は同意を求めるように言うとお茶を一口啜り、ケーキに手を伸ばす。真世とこうして居られるのはそう滅多にない。直人にしてみれば、むしろ引き留めて欲しいところではある…

「いいじゃない、真世。あなただって直人くんに会えて嬉しいくせに。」

「えっ!?」意外な実世の一言に直人は思わず真世を見つめる。真世も同じように直人を見つめ、二人の視線がぶつかる。

「真世ったら、「直人と結婚する〜!」ってしょっちゅう言ってたのよ。そしたら直人君たち松本に行っちゃたでしょ。それからずっと淋しがってたの、この子。」

しばらくの間見つめ合っていたことに気付き、同時に視線を逸らす二人。

「ママぁ!もぅ…小さい頃の話はやめてよ。」

真世は頰を少し赤らめてケーキを頬張る。

「あら、どうして?ママは直人くんならいいわよ。」

からかってるのか、本気なのかわからない口調で実世が言う。

「風間くんが困るでしょ。風間くんには彼女もいるんだし。」

「えっ??」何の話だ。

「サニってオーストラリアから来た可愛いコよ。ねぇ?」そうでしょ?と窺い見てくる真世。

「はっ!?ち…違うよ!彼女はタダの同僚…」と言いかけ、直人は言葉を噤む。

たしかに付き合っているわけではない…が、それだけの仲ではないのも事実ではある…

しかし、その事は真世には知られたくない。
直人は動揺を誤魔化し、平静を装う。

「えっ、違うの?」

「う…うん、付き合ってはいない…」何とも微妙な言い回しになってしまったと、俯向く直人。

「なんだ、そうなんだ…。」そう言う真世の表情は、先程よりいくぶん優しく見えた。

「ねっ、メロンまだあるよ。もう少し食べる?」

真世は機嫌良さげに直人に訊いてくる。

直人が答えようとしたその時、実世が少し咳き込んだ。

「ママ!?」

「ご…ごめんなさい…大丈夫よ。」

実世は、つい楽しくなって喋り過ぎたみたい、と力なく笑った。疲れが顔に滲んでいる。体力が著しく奪われ続ける実世には、小一時間程のたわいもない団欒でも負担になる様子であった。

「すみません、長居してしまって。」

察した直人は席を立つ。
実世はさらに咳き込み始めた。真世に付き添われながら、ベッドに横になる。

「ううん…ゴホ…ゴホ…楽しかったわ。…たまに遊びにいらっしゃい…ゴホ…真世もほとんどここに居るから。」

そう言うと実世は、真世に直人を送らせようと促す。

「いいよ、ここで。お母さんについててあげて。」

名残りおしいがこれ以上、長居はできない。
直人はそのまま部屋の外へと向かう。

「う…うん、ごめんね、風間くん。」

直人はそのまま部屋を出る。咳き込む母親とその看護に追われる娘の声が聞こえる。

入れ替わりですぐに看護師がやって来て、部屋へ入っていく。真世が呼んだのだろう。
心配だが、今自分に出来ることは無いと悟った直人はそのまま帰宅の途に着く。

夜の帳が下り始めた廊下は静まり帰っている。

直人が歩き出したその時…

…!?

背後に何者かの気配を感じ、振り向く。

長い髪を前に垂らし、虚ろに佇み直人をジッと見つめる人影…

薄明かりの中、その顔ははっきりと見えない。だが、直人はその人物を知っているような気がした。この無意識の奥の方から見つめられるようなこの感じ…

「あ…亜夢…さん?」

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