5.初夏のプレリュード −1

月夜の晩。

伝統的な書院造りの一室を障子から差し込む青白い月明かりが照らす。

仄暗い部屋の中ほどで、小さな灯の玉がその光で畳表の山を浮き立たせると、その灯は意思を持つかのようにゆっくりと動きだす。

古めかしい日本列島の地図が照らし出される。模造紙程度の大きさに貼り合わされた和紙に全て手描きで描かれたものだ。

灯は紀伊半島の一帯を照らし「奈良」「京都」といった地名を確認するかのように舐めていく。地図には随所に呪術の一説のような文言が記され、何を意味するのか、幾何学的な線形が幾重にも描き重ねられている。

何代にも渡って受け継がれてきた代物である事が、多様な筆跡や紙、墨、インクの劣化度合いから見て取れる。

灯はそのまま北上し、日本海に沿って北上していく。

その蝋燭の灯が微かに揺らめくと、その灯に導かれていた男の手が止まる。

「鳥海山…」

男はその周辺に何かを感じ取っていた。

そのポイントを更に絞り込むように意識を研ぎ澄ませていく。

灯がやや海岸線の方へと引き返すと再び蝋燭の火が揺らめいた。

「ここは…ふふ…見つけましたよ…」

「時空間転移完了!時空間安定を確認。」

「ランディングギア、タッチダウン!ガントリーローダー固定開始。」

異空間より帰還する<アマテラス>。

アランとティムは手慣れた手順で<アマテラス>を発着エリア(トランジッションカタパルト最奥部)の帰還ポートに帰港させた。

ガントリーローダーに載せられた<アマテラス>はメンテナンスエリアに搬入される。

<アマテラス>上部のハッチカバーが開き、タラップが渡されると、開いたハッチの底から、昇降エレベーターがせり上がり、インナーノーツの5人をタラップまで送り届けた。

「んーっ!」と、密閉された船内から出た解放感からサニは大きく伸びをしている。

5人はタラップを渡って下船していく。

「今日もお疲れさん!」

タラップの先にはアルベルトが部下を連れて待ち構えていた。

「あと、頼みまっせ!」

アルベルトに軽くハイタッチして返すティム。

彼らと入れ替わりで、船内へ向かうメンテナンスチームら。

「そうそう、コーゾーが呼んどったぞ。所長室だ。」

アルベルトは再び下に下がる<アマテラス>の昇降エレベーターから言葉を投げかける。

「所長が?わかりました。」

カミラの返答に手振りで返すアルベルトはそのまま船内へ姿を消した。

「えー、これから?お腹空いたのにぃ…」

時間は午後1時に差し掛かったところだ。

サニは不満を漏らす。

「まあまあ、とにかく早く着替えて行きましょう。」

カミラはサニを適当になだめるとそのままIN-PSID中枢区画の地上棟に直通するエレベーターに乗り込んでいく。

「お先。」ティムはポンとサニの肩を叩きカミラに続き、直人とアランもそれに続いた。

「あっ!待ってよぉ~!」

エレベーターのドアは無情にもサニを待つことなく閉まり始めた。慌ててサニは強引に閉まりかかるドアに身をねじ込んだ。

南天に日は高らかに昇り、一層深みを増した樹々の青さに強いコントラストを生む。

日本海から吹き付ける生暖かな潮風は、夏の到来を告げていた。

軽妙なチェロの音色が、青く澄み渡る空に浮かんでいく。

日本海の波は穏やかにその上行と下降を繰り返す音階の軽妙なリズムに合わせ、ダンスを舞う。

バッハの無伴奏チェロ組曲第1番「プレリュード」…藤川はチェロを手にして間もない頃から弾き続けている。

IN-PSID中枢区画の六角推台部最上階。

所長室はその一角、北西の一角にある。藤川はほぼこの部屋で寝起きしている。

隣接して南側が接客や会議に使用するラウンジと集会室、北側は藤川のラボがあり、東側はVIP宿泊施設などがある。

インナーノーツらはそのチェロの音色に誘われるように所長室へと向かう。

扉の前に彼らが来るのとほぼ同時に最後のコードが静かに消えた。

「インナーノーツ、参りました。」

カミラが扉脇のインターフォン越しに声をかける。

「どうぞ。」と返事が返って来るのと同時に扉が開いた。

藤川はいそいそとチェロをスタンドに立て掛けながらインナーノーツらを迎え入れる。

「所長のチェロ、久しぶりです。相変わらずいい音ですね。」

カミラは率直な感想を述べる。

「いやいや、このところろくに弾けなかったのでな。年をとるとすぐに衰える…あぁ、まあ座ってくれ。」

その言葉に従い、カミラ達はテーブルを囲うように置かれた接客用の椅子に腰を下ろす。

藤川は机から古ぼけた数冊の冊子を持って彼らの方へやって来ると、「秋のフェスなんだが、これをやろうかと思うんだが…」と、カミラ、直人、サニにそれぞれその冊子を渡す。

「ベートーベンのカルテット15番…それにシューマンのピアノ五重奏?」

渡されたのは、そのパート譜だ。ファーストバイオリンをカミラ、セカンドバイオリンを直人、ビオラをサニが受け取る。

カミラは10代の頃通っていたミッションスクールでバイオリンを学んでおり、確かな演奏技術を持つ。

直人も少年の頃を過ごした松本でバイオリンを習っており、特に母が熱心になって、教室に通わせた。どうやら亡くなった父親が趣味で弾いていたらしく、母は彼を音楽の方に進ませたかったようだ。直人が今使っているバイオリンも父の形見と聞いている。

サニは元々音楽の素養があり、藤川の勧めでビオラを弾くようになった。ビオラに惚れ込んだのか、手にしてから1年ほど相当入れ込み、インナーノーツの訓練以外はほとんど楽器を弾く時間に当てていたらしい。

今では藤川とは、年一回、秋に催される「IN-PSID カルチャーフェスタ」で室内楽を披露するなど、良き音楽仲間でもある。

藤川は、楽譜に関してはデータ化されたものは好まず、昔ながらの紙に印刷されたものを愛好しており、またそれは彼にとって大切なコレクションでもあった。50年ほど前の復刻版であるが、出版物自体が骨董的価値のあるこの時代において貴重な代物である。

「うむ。カルテットは3楽章。5重奏は1楽章をやろうと思う。…ピアノは真世が引き受けてくれた。」

真世の名前に一瞬、反応する直人。

サニはそれを見過ごさない。

「忙しいだろうが…どうかね?」

「わたしは構いません。是非。あなた達は?」

カミラの問いに空かさずサニが答える。

「センパイもやる気満々のよーですし、ま、いいですよ。」

「おい、サニ!どういう…」

サニの答えに直人は動揺を隠せない。

「ん?駄目か?他の曲でも良いんだが…」

所長は直人の動揺から、選曲が難しかったか?好みではなかったか?と訝しんだ。

「い、いえ!大丈夫です、やります!」

直人は咄嗟に返事を返す。

「ありがとう。練習は折をみて声をかけるのでサラっておいてくれ。」

「あのぉ…」

はい、とカミラが返事しかけたところで、ティムが不満そうに口を挟む。

「横からすんませんが、用って、こういう?」

「おっとこれは失敬…。」

そういうと藤川は振り返り、机上のインターホンをとる。別の部屋を呼び出しているようだ。

「私だ。準備の方は?…ん、わかった。」

短いやり取りの後、藤川はインターホンを置いて向き直った。

「いいみたいだ。」

新たなミッションの打ち合わせだろうか…インナーノーツは藤川の言葉をじっと待つ。

「みんな、お腹は減らしてきておるな?」

意外な藤川の言葉に、一同は拍子抜けした表情を返すのみであった。

「わおぉ!!」

サニは思わず歓喜の声をあげる。

同じフロアのラウンジには、階下の食堂から運ばれた食事がビュフェスタイルで所狭しと並んでいた。

食堂スタッフに交じって、アイリーン、貴美子、田中、そして東がテーブルセッティングの仕上げにかかっていた。

「良かったわね、サニ。」と、空腹を訴えていたサニにカミラはちょっとした皮肉を投げかけるもサニの意識はもはや食卓にフォーカスしていた。

「ピンチこそ最大のチャンスよ!やっぱアタシ、持ってるわ!」 

「ピンチねぇ…」さっきまで「ピンチ」という名の空腹に不満を漏らしていたサニのテンションの変わり様に直人は呆れるしかない。

「なんのパーティですかね、コレ?」

ティムが不思議に思うのも無理はない。インナーノーツらは何も聞かされていなかった。

「少し時間が経ったが、ファーストミッション成功のささやかなお祝いだ。」

「えっ…それじゃあ…」

なんとか成し遂げたファーストミッションから一週間。そのミッション対象者、亜夢の異常覚醒はかろうじて回避できたものの、心身の回復には予断を許さない状況とカミラは聞いていた。

藤川が「お祝い」というからには、亜夢は…

「ええ、あの子もようやく集中治療室を出られるわ。」

カミラの疑問に貴美子が答えた。亜夢の回復の兆しが見えてこそのお祝いだったのだ。

「カミラ。」アランがそっとカミラの横に立ち、カミラの肩にそっと手をおく。

その声にカミラも肩の力が抜けていくのを感じた。ファーストミッションの重責…それを背負いこの一週間、カミラが気を張り続けて来たことをアランは見抜いている。 

カミラはアランに微笑み返す。

「見て見て!岩牡蠣もあるよ!」サニは既に物色を始めていた。今朝、水揚げしたばかりの岩牡蠣を始め、だだちゃ豆やメロンなどは近隣の水産業者や契約農家から仕入れている。(温暖化や品種改良により、農産物の収穫可能時期が幾分早まっており、5月中旬頃から既に食べ頃となる。)

またIN-PSID附属大学の農業研究科でも農園を有しており、地元農家などと協力しながらIN-PSIDはこの恵みの地、庄内でこの時代、貴重な非合成食材の地産地消の推進も勧めていた。

だがここまでの道のりも平坦ではなかった。同時多発地震以降、PSI利用の不信は根強く、IN-PSIDはその災害に対する備えの為の機関ではあるが、当初は建設反対の声が圧倒的であった。この地は藤川の出身地でもあり、当時、町長を務めていた彼の旧友が藤川の「PSI利用による災害への備え」に対しての理念に共感し、積極的に地元住民を説得、誘致を進めてくれたおかげで、IN-PSIDとその周辺に広がる学園都市「鳥海まほろば市」建設が実現した。

その後も、都市化やIN-PSIDからの排水の影響などにより、一時期、環境悪化問題も浮上。テーブルに並んだこの岩牡蠣も一時期、激減してしまったこともある。

そうした中、PSI技術を環境浄化、保全に転用する技術を模索し続け、地元住民との協働を第一に考えて来た。インナーミッションの成功は、この20年間の歩み全ての結晶なのだ…藤川はテーブルに並べられた食材を前にそのことを深く噛みしめる。

「それでは所長、一言。」

食事の準備を完了した東が藤川を促した。

「うむ…聞いてのとおり、ファーストミッションの対象者、亜夢くんの回復も順調だということでな。とにかくよくやってくれた。まだ昼なのでお酒はないが…」

クスッと笑いが漏れる。

皆、藤川の嗜好は心得ている。

「地元の食材を取り揃えたランチを存分に楽しんでくれたまえ。では乾杯。」

穏やかな温かい潮風が、日本海に面したテラスの方から吹き込み、食卓の香りを部屋いっぱいに運ぶ。

「ママ、洗濯物これで全部?」

洗濯籠には昨夜着替えた衣類とタオルが2枚。その籠を覗き込みながら、真世はその部屋の主に問いかけた。

「え…ええ。ありがとう。看護アンドロイドが巡回してくるからそのままでいいのよ。」

IN-PSID附属病院とIN-PSID中枢施設の中ほどに立つPSI シンドローム長期療養施設。海を臨む西側の一角の個室が真世の母、実世に割り当てられた小さな生活空間である。
実世は起こしたリクライニングベッドの上から返事をした。

「だーめ。このところバタバタしてほとんどお手伝い出来なかったんだから。…じゃこれ持っていくね。」

そう言いながら、真世は洗濯籠を持ち上げる。
単純な看護や身の回りの世話はほとんど看護アンドロイドがやってしまうのだが、真世は何かと仕事を見つけて、母の世話を焼きたがる。

「それより、今日はランチパーティーだったんじゃない?それ出したら行って来たら?」

こうやって顔を見せに来てくれる娘を嬉しく思いつつも、なぜかその娘の笑顔にちょっとした心配を感じてしまう…

「いいの。まだお部屋の掃除もあるし。ママはゆっくりしてて。」

そう言うと真世は洗濯籠を抱えて部屋を出て行く。

廊下に出たところで医師と看護師数名に付き添われた移動ベッドとすれ違う。真世は廊下の端に寄り、道を譲る。

ふとベッドに載せられた患者の顔が目に留まった。

「亜夢ちゃん…?」

亜夢はもう眠ってはいなかった。
否、ただ目を見開いているだけなのかもしれない。

仰向けに横たえられたその身体を動かすこともなく、その虚ろな目はジッと天井を仰ぎ見ていた。

真世はそのベッドの行き先を自然と目で追った。実世の部屋より数部屋奥の個室が亜夢の病室となるようだ。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする